TOSHI

クワイエット・プレイスのTOSHIのレビュー・感想・評価

クワイエット・プレイス(2018年製作の映画)
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フィルマークスのプロフィールによくある、「ホラーは観ません」、「ホラー以外は何でも観ます」というフレーズを見ると、がっかりする。映画ファンなら、ジャンルを問わず、力のある本物の映画を追い求めるべきで、ジャンルで一括りにして、特定のジャンルを観ないと言うのは、乱暴で不誠実な感じがするのだ。私もホラー映画は好きではないが、映画ファンとして避けて通れないと思えば観る。あまり観ないのは、ホラー描写が目的化したような作品ばかりで、本物の映画を予感させる作品が少ないからだ。特にクリーチャー主体のホラーとなると、あまりにも「エイリアン」を水で薄めて、えげつない描写を拡大したような作品が多く、本作もそういった類ではないかと思った。大味な作風のマイケル・ベイ監督の制作である事も、眉唾だった。しかし、音をたてたら即死という設定に興味を持ち、観賞した。
冒頭から、異様な緊張感が支配する。荒れ果てた片田舎のスーパーマーケットで、怯えたように商品を物色する家族。リー(ジョン・クラシンスキー)とエヴリン(エミリー・ブラント)の夫婦。長女・リーガン(ミリセント・シモンズ)、長男・マーカス(ノア・ジュプ)、次男・ビュー(ケイド・ウッドワード)の5人だ。リーガンは聴覚障害で、音が聞こえない(シモンズは、実際に聾唖の女優)。
極度に物音に怯え、声で音を立てないように手話で会話する。何かが世界に起こっているようだが、経緯は省略され、いきなり「89日目」から始まるため、観客は宙ぶらりんな心理状態に置かれる。導入は、とても映画的だ。どうやら、音に過敏に反応する“何か”に襲われ、人類の殆どは滅びており、一家だけが生き残っているようだ。リーガンがビューにあげた店で入手したロケットの玩具が音を出し、一瞬にして何かに次男が襲われ死亡し、リーガンは罪の意識に苛まれる。
「472日」後、エヴリンは新たな子供を妊娠し、リーは無線電波で世界中にSOSを発信している。リーとマーカスは食べ物を収穫しに行き、リーと関係が上手くいっていないリーガンは、弟が命を落とした忘れられない場所に向かう。そして家に残るエヴリンは産気づく…。
本作のメッセージは家族愛であり、実生活でもパートナーである、父親役クラシンスキー(本作の監督)と母親役ブラントが演じる、親が子を守ろうとする姿はリアルで感動的だ。しかしそんなメッセージがどうでもよくなる程、正体が説明されない何かの襲撃に怯える恐怖感の演出が凄まじい。音を出してはいけないのに、出してしまった時には声が出そうになる。駆り立てるような音楽が圧倒的で、効果音に何度も驚かされる。そしてそれは、音を立ててはいけない状況での出産という異常なシチュエーションにより最大化する。新たに子供が産まれる喜びの一方で伴う親としての不安感が、かつてない映画的なシーンとして焼き付けられている。エヴリンを狙う何かの関心を逸らすために、マーカスが打つ手も、魅力的な映像に昇華されている。
「音を立てると抹殺される」という設定は、一つの発言だけで、ネット上で糾弾され、社会的に抹殺されかねない現代社会のメタファーのようにも思え、深層心理を突かれる気がする。映画館は音を立ててはいけない場所であり、観客が置かれた状況ともシンクロする、絶妙な設定と言えるだろう。コンパクトな上映時間で、登場人物を絞り、余計なサイドストーリーもなく、ひたすら一家とクリーチャーの対決にフォーカスしていたのが奏功していた。
久しぶりに劇場で観たホラー映画だったが、現実の生活ではありえない何かが起こる予感、つきまとうような不安感、トラウマになるような衝撃といった要素は、映画に欠かせない構成要素であるであると再認識した。ホラー描写を目的とするのではなく、あくまでも人間を描く事に重点を置いた上で、必要で効果的なホラー演出を行えば、ホラーでも力のある本物の映画は生まれるのだ。よくある“新感覚ホラー”とは、一線を画す傑作だ。