背骨

寝ても覚めてもの背骨のネタバレレビュー・内容・結末

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます


観ている間中ずっと心を激しく揺さぶられ、観終わった後もずっとザワザワとヒリヒリが止まらない、間違いなく今年最高レベルの超絶傑作。

現実と白昼夢が交錯するように描かれる「日常」と「非日常(理想)」間で葛藤する姿。

現実に起きそうな事をリアリティと呼ぶなら、この映画はそれとは全く違う手法で「自分に向き合い、他者と関わりあいながら生きていくとはどういう事か」に辿り着こうと試みる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誰もが持つふたつの欲望。「安定した日常」と「未知の魅力に溢れた非日常」を象徴するような二人の男。「亮平」と「麦」

日常を象徴する「亮平」は常識的だが打算的。
朝子へのアプローチは「君も僕に何かを感じたはずだ」という確認だった。

非日常を象徴する「麦」は純粋で自由奔放。
朝子との出会いは運命的。そこに理屈や言葉はいらなかった。

同じ顔を持つ「亮平」と「麦」
朝子の「日常」と「非日常」はどちらも優しさに包まれた時間だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

朝子は麦との運命の出会いの瞬間以来、寝ても覚めても恋という夢の中にいた。
そしてそれは麦から「これは運命だね」と言われた瞬間、永遠に続く事が確定した。

夢の中ではなんでも思い通りだ。
亮平との感謝しかない日常を生きていた朝子だけど、きっと自分でも気づいていない意識下では麦との夢は続いていた。だって朝子は麦と別れた訳ではないのだから。

そして究極の日常とも言える亮平との結婚が目前に迫った時、朝子は麦という非日常を召喚してしまう。

まだ朝子は日常に飲み込まれたくなかった。理想(非日常)の中で生きたかった。

朝子が迎えにきた麦の手を取って走り出すあの衝撃のシーン。

常人には全く理解出来ないあの狂気とも言える行動も、麦と朝子にとっては当然の事だっただろう。

「必ず朝ちゃんの元に戻ってくる」という永遠に続く約束をふたりは守っただけだった。

朝子が麦と亮平を天秤にかける時、そこには恐ろしいほどなんの打算も偽善もない。今までの感謝やこれからの人生も…。それは朝子にとっては純粋で素直な行動だった。

例えるならあらゆる余分なものが削ぎ落とされた純粋さによって導びかれた残酷な愛の執行。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

麦と朝子がスマホを投げ捨てたあと辿り着いた防波堤に囲まれた仙台の海岸線は、この世の全てのものから隔離された麦と朝子だけの夢の世界。

朝子はそこで麦に別れを告げる。
またしても今までの経緯など全くお構いなしに。

あれ以上は先には行けない。

亮平と共に何度となく足繁く通った仙台の地より遠くに行く事は、2度と亮平との日常に戻れない事を意味する。

なぜ朝子は亮平を選択したのか?

朝子の中で「愛」の定義が変わったのは間違いないだろう。

全てを削ぎ落とした純粋なものを基準にして生き方を選択してきた朝子が、煩わしいものも含まれた日常を愛す事こそ、生きていくことだと思ったからだ。

あの日常を一瞬で奪ってしまった震災という非日常を知る仙台の海風が「日常を愛せよ」と口添えしたのかもしれない。

防波堤を駆け上がり、海を見つめる朝子。

朝子にとって海とは全てを包み込んでくれる麦という存在そのものだった。

しかし朝子は海ではなく川を選択した。
日々目の前を流れる日常を象徴する川を。

現実に待ち構える厳しい日常を生きる覚悟を決めた朝子の表情を捉えた素晴らしいクローズアップに震える。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ラストシーン。亮平と朝子はお互い向き合う事なく、目の前の汚くて綺麗な天の川を見つめる。

二人は同じ方向を向いて日常を生きていく。残酷で苦しい毎日が待っているのはわかっているのに。…なんという結末…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

常にスクリーンに漂う恋愛映画らしからぬ不穏さは、なんて事ない日常に非日常的出来事が起こりそうな予感そのもの。

非日常に想いを馳せながら日常を生きていた朝子が、非日常に対して決着をつけない限り、その不穏さは決してなくならない。

役者という夢にまだ決着をつけられないでいた串橋がマヤと言い争うシーンに漂う不穏さも同じだろう。

しかしラストシーンではそれまでスクリーンを覆っていた不穏さは微塵も無くなっていた。

そこにあったのは不穏さではなく、これからずっと途方もないくらい反復されるであろう日常がもたらす静けさ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どこかこの世のものではない感を醸し出す東出昌大と唐田えりかの得体の知れない怪物感が素晴らしかった。

そんな二人の世界と対比したリアルな日常を作り上げる瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知の人間味もまた素晴らしかった。

ラストシーンの東出昌大と唐田えりかに怪物感はなかった。友人達と同じような人間味だけがそこにあった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
背骨

背骨