いの

寝ても覚めてものいののレビュー・感想・評価

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
4.5
自分のために正直に書こうと思う。


川の流れと、最後の2つの台詞を聴いて、私は、自分の心のどす黒さを思い知らされたと思った。嫌な映画だ。しんどい映画。


「寄生獣」や「予兆」(「予兆」>「散歩する侵略者」)など、この世のものではないものを演じたら、東出昌大の、右に出る者はいない。今作の麦もそうだった。物の怪、怪物、あるいはエイリアン。人の体躯を打ち破って出てくるもの。想像を超えて揺さぶりをかけてくる。自分を根底から揺さぶってくるもの。大地を揺るがすもの。


(一粒の麦、地に落ちて死なずば)
あるいは麦は死者かもしれない。海からやってきて、海へと還っていくもの。川から流れて海へと向かうもの。あとから考えると、朝子も死者であったとしてもおかしくない。序盤のバイク事故で、ふたりはもうあの世に逝っていたとしてもおかしくない。後から後から、妄想は膨らむ。


私のなかにも、きっと朝子は眠っている。似ている人を好きになって何がいけないのだ。見た目がそっくりな人を好きになってしまうことと、性格が同じような人を好きになってしまうのと、いったい、何が違うというのだろう。朝子の台詞にはうそがないと思った。誠実に正直に生きていると思った。あるがままを受け入れている。りょうへいの台詞にもうそがない。震災を通して結びつくふたり。


レストランでのあのシーン。もしも私だったら。私も同じことをしてしまうのかもしれない。手を取り、手を引かれ、立ち上がる。たとえそうしなかったとしても、心はまるごと、連れ去られてしまうのかもしれない。


麦と朝子が乗り込むタクシー。レンタカーでの移動。それはもう、異世界、異次元への突入のように感じた。あの時の朝子の顔は、それまでとはまったく違う顔をしていた。


汚くてキレイな川を眺めながら、私は思う。水かさが増し、グングン増し、大洪水になってしまえばいい。(不謹慎なことを書いて本当にごめんなさい。)何もかも、ひっくり返ればいい。破壊を望む私がいる。そう思う私に、私は驚く。驚愕の事実とはこのことだ。川が大洪水となって、私の本心がむき出しになっていっても構わない。そして、監督もきっと、このイメージを、いつか来たる長編映画「FLOODS」へと繋げる気ではないかと、勝手に妄想した。


考えれば考えるほどに、傑作。


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*2回、声を出して笑っちゃった。

*クレジットにあった、占部房子さんはわかりましたが、岡部尚さんはどこで出ていたのかわからず(ともに「PASSION」に出演)(*岡部さんが何処に出演されていたのかは、のちに、mさんに教えていただきました。mさん、ありがとうございました。)

*瀬戸康史のあの台詞と土下座と、その際の山下リオの対応(&朝子の反論)、渡辺大知の潤んだ瞳、田中美佐子のお話や洗濯物、大好きな伊藤沙莉、みんな良かった。それぞれにそれぞれのⅠ&Ⅱがあったような気がする。

*麦の再来は、津波も連想させる。突然激しく襲ってきて、連れ去ろうとする。そして、連れ去れないとわかったら、すーっと引いていく。

〈2度目の観賞〉
*あれこれ考えず、ただただ観ることになった
見つめる/見つめられる
始まりの写真を見つめる/写真に見つめられる
終わりの2人はこちらを見つめる/2人に見つめられる
牛腸茂雄の双子の写真は、麦とりょうへいのようでもある

〈ディスクも購入しました。でも未開封〉
いの

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