きゅうでん

寝ても覚めてものきゅうでんのレビュー・感想・評価

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
4.5
これは、時間/空間と人間の関係性を描写することにより、愛、または人間の実存を論じた映画である。

ある物体の構成要素が全て別の要素に変化したとき、その物体は最初の物体と同じであると言えるか。これは、「テセウスの船」という思考実験としてよく知られる問題だ。
時間的な連続としての”人間の身体”は、細胞が全て入れ替わっても、(少なくとも社会的には、)同じ存在としてみなされる。
この映画においてはむしろ、人間の個やアイデンティティは、時間の流れ=変化によって定義される。(多面性と言っても良い。)

役者という夢について悩み、言い争いつつも、後に結婚する串橋とマヤは、時間軸で生きる”人間”そのものだ。
一方で、時間軸を持たないバクや、バクにこだわる朝子は、人間離れした存在として描かれる。
平気で役者をやめたり、朝子にこだわりを見せなかったり、バクはどんなことがあっても反応がさっぱりしている。「悩み」なんてものは、時間軸に生きる”人間”特有のものなのだ。
(東出さんは『桐島』における空っぽ人間ヒロキのように、棒読みの演技が人間離れしていて大変素晴らしい。唐田さんもぼうっとした演技だし、何より「5年後の朝子」が実年齢と合っているように見えない。普通は「5年後の朝子」の年齢に合わせるところを、あえて「5年前の朝子」に合わせてキャスティングしているのであろう。)
そして、「個」が時間の流れで定義されている以上、「個を愛する」ということも時間の流れで定義されるんじゃないか。終盤、バクは防波堤の存在、つまり時間の象徴としての”震災”の存在を、知らずに東北の海へ行く。そんなバクを見て下した朝子の決断は、彼女が「個」についての上記の洞察を得たことを示唆する。

「水かさが増してる。きったない河やな」
「うん。でも、綺麗」
内見のときには穏やかだった河川を見ながら、そんな会話をする2人の関係は、東京にいたときとは全く違っている。痛みや悩み、不信を伴いながらも、初めて本当に互いを愛し合うことになるのだろう。

他にも膨大な量のテーマやメタファーが散りばめられているし、「味が染みる」とかタバコ観の違いとか、何気ない日常会話とテーマの結びつきもバッチリで、何度見ても素晴らしい映画である。
(ねこ、堤防、震災、大学時代の友達2人、夢と現実、生と死など)