TOSHI

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法のTOSHIのレビュー・感想・評価

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私の映画界への最大の不満は、現代を描いた作品の少なさだ。着想を何らかの原作や実話に依存しているために、自ずと過去を舞台とした作品が多くなるのだろう。独自の発想で今を描けない作り手が、「昔、実はこんな事がありました」という作品を作っても仕方がないのだ。この観点で、20世紀に比べて映画は進化などしておらず、むしろ退化していると思う。対して本作は、紛れもなく今、この時代が描かれており、「これだよ。これ」と快哉を叫びたくなった。

アメリカ・フロリダ州の、「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」周辺の実在のモーテル、「マジック・キャッスル(魔法の城)」が舞台だ。多くの住人は、長期滞在しているようだ。料金が安いとは言え、月間単位だとアパートの家賃より高そうで、何故そんな割に合わない生活をしているのかといえば、2008年のリーマン・ショックを引き起こした、サブプライム住宅ローン問題が背景にあるのだった。家を失い、かつ安定的な収入もない人は、新たにアパートを借りる事もできず、とりあえず短期間の宿泊料を払って生活するしかないのだ。日本のネットカフェ難民と、同じ構造である。夢の国の周辺が、低所得者達が住む公営住宅(プロジェクト)のようになってしまっているのは、何とも皮肉な風景だ。金の有無で人生が決定付けられてしまうのは、人間の不変かつ最大の問題だが、真面目に働けば生きていけるという大前提が崩れた現代は、金が無い貧乏の形態が変わってきている事を改めて感じる。

シングルマザーのヘイリー(ブリア・ヴィネイト)と、6歳の娘・ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)は、このモーテルに住み込んでいる。ヘイリーの夫や親の話は出てこないが、断絶している事が分かる。彼女は以前、ストリッパーとして生計を立てていたが、解雇され現在は無職で、モーテルの賃料も滞納気味だ。青とピンクで染められた髪や、全身のタトゥーが強烈だが、有名なインスタグラマーで演技は初めてというヴィネイトが、まだ20歳そこそこで精神的にも成熟していない、独特な母親像を作り出している。ヘイリーは高級ホテルの客に、量販店でまとめ買いした香水を押し売りしたりして滞在費を稼ぎながら、食事は教会の施しやアシュリー(メラ・マーダー)のお裾分けを貰っている。更にムーニーはレストランに行ってはご飯を恵んでもらったり、ディズニー関連ショップの前に待機して、お客のお釣りをせがんだりする。
貧困故に動きが取れないヘイリー親子の状況の深刻さと、常夏の開放的なフロリダを舞台にした、モーテルのピンク色の外観や登場人物達の服装等の、原色溢れる映像のコントラストが本作の核心だろう。更にその深刻さを、子供の無邪気な視点(子供の背丈の位置のカメラ)で捉えているのが秀逸だ。子供には貧困や乞食の意味は分からず、全ては遊びなのだ。全編が対立法で、構成されている作品ともいえる。
ムーニーは同じような境遇の家庭の、スクーティ(クリストファー・リヴェラ)やディッキー(アイデン・マリク)と遊んでいるが、悪戯の度が過ぎ、停まっている車にツバを吐きかけたり、モーテルを停電させたりしてしまう。モーテルの管理人であるボビー(ウィレム・デフォー)は、ヘイリーの粗暴な振る舞いやムーニーの悪戯を苦々しく思っているが、境遇には同情しており、また子供達を守ろうとする良心はある。ムーニー達が、変質者の男に絡まれているのを見つけると、自販機のドリンクに誘い子供達から引き離した上で、追い払う事に優しさが感じられた。
ディッキーが親と共に去り、新たに仲間に加わったジャンシー(ヴォレア・コット)と共に、廃屋に遊びに行ったディッキー達はある事件を起こし、スクーティの親であるアシュリーから絶縁された事で、ヘイリーは更に食事に困り、ある行為を始める。夜になると何故か、ムーニーは一人でお風呂に入れさせられ音楽を聴かされる。後で分かる、このシーンの意味が悲痛だ。
様々な障害が立ちはだかり、ヘイリー親子の生活もこれまでのように続けられなくなったかに思えた時…。最後に、まさに映画的な奇跡の瞬間が訪れる。

社会の片隅で暮らす弱者をリアルに描いてきた、ショーン・ベイカー監督ならではの作品であり、一見、ドキュメンタリー風だが、数々の仕掛けで、観客を飽きさせない演出が見事だった。随所に挿入される、スコール・虹・夕陽など天候の描写が素晴らしく、ムーニー達が湖の畔で、ディズニー・ワールドの、ウィッシュ(希望)という花火イベントを観る光景も象徴的だ。夢の国の近くに住む、夢の国なんて行った事がない人達の物語に、本当の意味での映画的興奮を感じた。
現実的には、ムーニーのような境遇の子供が将来、人並みに幸せな生活を送る事ができる可能性は低いだろう。それでも嘘で良いから希望を見せるのが、映画の仕事なのだ。魔法など何処にも出てこないが、確かに映画の魔法が感じられた。アメリカの今、悲痛な真実の姿を描き出しながら、視覚的に楽しい作品にまとめ上げ、最後には希望を提示した大傑作だ。これが、2018年の映画である。