タンジェリン同様社会的弱者のありのままの姿を描き、その背中をそっと押すような作品。
子供が見ている世界と大人が見ている世界が対比して描かれているが、度々大人の世界が子供の世界に介入してくる。さっきまで無邪気に笑っていた子供がそれを目の当たりにした時にする無表情な顔、もしくは後ろ姿が意識的に映し出され、いたたまれない気持ちになる。
子供と大人の視点の違いを利用した効果的な構図?は呉美保監督の「きみはいい子」を連想した。
前半では何者にも縛られず自由に生きる子供達が無敵にさえ見え、そんな彼女達が遊ぶ姿をいつまでも見てられるなと思ったけど、ある事件が起きて以降はその遊びの背後にある重い現実が頭をよぎり楽しいという感情は無くなってしまった。
そしてラストにはその二つの世界が完全に同じになる、というか子供の世界が完全に侵食され尽くされてしまう。
幼いムーニーでもこの生活はいつか崩壊するということを内心薄々は気づいていたんじゃないかと思うけどそれが確信に変わった瞬間にこれまで一度でも見せたことがなかった表情を見せ、自分も涙せずにはいられなかった。
でもこの映画では詳細は伏せるけどさらにその先が描かれ、このシーンには「ララランド」のエピローグに通じるような形容しがたい映画ならではの興奮を覚えた。
そこには厳しい現実をせめて映画の中だけでも救ってあげようとする監督の優しさのようなものを感じられた。
閉館間際のディズニーランドで両親に抱きかかえられながら花火を見る子供もいれば、安いモーテルからそれを眺める子供いるという当たり前だけど忘れがちなことを痛切に感じた。
にしても子供のあの自然体な演技はなんなんだ⁉︎ 演技に見えない…