純

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法の純のレビュー・感想・評価

4.8
眩しさの理由は、いつだってその孤独な影だった。幸せな瞬間に値踏みなんて必要ないよね。きらきらと光る時間は、馥郁な香りを連れて私たちの目線を奪う。あんなに色彩豊かな世界でも、現実は確かに怖い顔をして私たちの背後に潜んでいた。でも、そのせいで私たちが不幸になる筋合いなんて、本当はこれっぽっちもないんだよ。

世界最大の夢の国、フロリダ・ディズニーランド。そのすぐそばに、同じだけカラフルな外観の安モーテルがひっそりと建っている。シングルマザーのヘイリーに、悪戯好きな少女ムーニー、そしてその友達が毎日を生きる小さな世界。生活水準は低いし、ヘイリーたちもその日暮らしで追われる日々。ムーニーはといえば超がいくつ付いても足りないほどの生意気さと、好奇心と、冒険心と、正直さと、愛くるしい笑い声を持った天真爛漫な明るい子。世間一般から見たら、お行儀の悪い小さな不良なのかもしれなくても、この子が笑うと、私はどうしても嬉しくなってしまう。もっと笑っていてほしいなと心から思う。ムーニーはそんな健やかさがすべての仕草に表れる、とても愛された女の子だった。

「オレンジの実は嫌い」「オレンジジュースは好き」、子どもたちなりに存在する、譲れない大切な決まりごと。中身なんかないようで、本当は彼らが発するすべての感覚が美味しい果実なんだと気付く。あんなに小憎たらしくて野蛮な言葉を投げつけるのに、不意に純度100%の曇りない目線が世界を振り向かせてくれるもんだから、思わず何度も息を飲んだ。「なんでひとはじっと湖を眺めるんだろうね」「私がこの木を好きな理由わかる?倒れていてもちゃんと育っているからだよ」こんな風にさりげなく、優しい解釈ができるって本当に素敵なことだ。虹のふもとにいる妖精に会いに行くことだって、あの子たちにはできるんだよね。

管理人のボビーが塗装した、ポップなパステルカラーのモーテル。それはとても幻想的で、子どもたちの笑顔を優しく包んでくれる魔法の色をしていた。思わず夢心地でその曖昧な色に溶け込んでしまいそうになるけど、そこで生きるひとたちのビビットな生き様は、決して夢物語なんかじゃない。ポップな色彩がふとしたときにあんなに怖くなるなんて。あんなに愉快で溌剌としてる子どもたちが囲われている世界は、決して夢の国なんかじゃないっていう厳しい現実が、すごく痛い。それに、そんな世界から子どもたちを守ろうとしている大人たちの切ない姿も。皆みんな、本当は優しくゆっくりと相手を抱きしめてあげたいこと、きっとちゃんと気づいてるから大丈夫だよって、そう伝えることができたらいいのにね。

ヘイリーは本当に駄目な母親なのかな。夏色に染めた髪は爽やかで明るくて、ムーニーの纏う衣服といつだってお揃いだった。そして本当にお似合いの親子だった。緑の強いセルリアンカラーが本当に眩しくて、でもそれは彩度や色素なんかが理由じゃないことも、私たちはちゃんとわかっている。あのふたりだから、日差しもそよ風も味方をしてくれていた。堕落したように見えても、彼女たちは誰よりも真っ直ぐで、一日一日をその日分ちゃんと生きていたんだから。恥ずかしがることなんて何一つなかったし、ふたりは明日も明後日もこれからも、ずっと私たちのヒロインだ。

破茶滅茶だけど、すっと嫌なものが流れていくような清々しさがあった。貧困で、何もかもが不足している中で、とっておきのご褒美のように満ち足りた時間が流れていた。どんなに荒々しくてもヘイリーもムーニーも、本当に大切なものは決して馬鹿にしなかったんだよね。大事なものにちゃんと向き合える本当の愛を、ふたりは知っていたんだろうな。

ヘイリーは、一度も子どもの前では泣かなかった。絶対に泣き顔を見せなかった。そんな姿を見て育ったムーニーも、どんなときもあっけらかんとして明るくて可愛くて、でもふたりは本当はすごく怖い気持ちも寂しい気持ちも知っていた。家賃を払うために無くなっていく家中のもの。ひとりで過ごすバスタイム。はじけるような笑顔の裏で、脆い心が揺れては崩れないように必死に頑張ってくれていた。だからこそ。ボビーはそんなふたりを見捨てることなんてできなかったんだろう。管理人としての役割を全うしながらも、時には悪者になって、時にはその身を削って、住人たちのささやかな生活を守り通そうとした。『なめとこ山の熊』じゃないけど、ヘイリーはムーニーより強くてもボビーより弱くて、そんなボビーも上の局には逆らえなくて。そういった社会の構図も、少しの寂しさを優しい背景に滲ませていた。

これは本当に悔しい映画なんだろう。普段どんなに悪態がつけても、肝心なときに伝えたいことを言葉にできないやるせなさがあった。感情に幼稚も成熟もなくて、大人も子どもも泣きたくてたまらないときがあるんだよね。泣くことも投げ出すことも、本当は何も恥ずかしいことじゃない。諦めないでいるその姿はあんなに眩しいのに、それでも社会は沢山の「許さないこと」があって、私たちの幸せを邪魔してしまう。でもね、そんな抑圧を跳ね返すほどの満ち足りた記憶や絆は、絶対に絶対にあるんだってことも同じくらい明らかな真実だと、堂々と言わせてほしい。皆で大声で言ってやろう。

味方でいる、傍にいるということは、こういう寄り添い方のことを言うのだった。どんなに情けなくても反対されても、自分が大好きなひとたちや出来事に誇りを持てるひとだけが見せる笑顔が、この映画には沢山ある。でも、ずっと味方でいる、ずっと傍にいるということは本当はすごく残酷で寂しいことだってことを、私たちはこの映画を通して静かに思い出し、たったひとりで泣くんだろう。あの真夏に過ごした大切な場所、フロリダ・プロジェクトを思って。