①無邪気と無教養で荒んだ大人を翻弄する子供たち
貧困とそれに対する諦め。現実の八方塞がりな雰囲気が漂う安モーテルに囲まれた世界。
荒んだ雰囲気にいる中でも、子供にはそんなの全く関係ない。
主人公、ブルックリン・キンバリー・プリンス演じる少女ムーニーたちは、冒頭からそのクソガキっぷりを思う存分発揮しながら、あまりに傍若無人な態度で大人たちをからかいまくる。
その容赦ない姿に、思わずたじろぐほど。
クソガキたちは、無邪気そのものでいきていく。そしてムーニーの母親ヘイリーもまた、無教養と無邪気で、粗野だけど懸命に1日を生きる。
子供との生活を守るために金を稼ごうとする健気な母。
でも、怠惰で自己欲求をかけらほども隠さない彼女は、定職につかずあらゆるグレーな手段を取る。
傍目に見れば、いつ破綻してもおかしくないような綱渡りの生活。
それでも、ムーニーとヘイリーには満面の笑顔があった。雨の中笑いながら遊びに耽る2人の姿が、頭から離れない。
②子供の視線で描かれた、夢も救いもない極彩色の世界
この映画は、子供の視線と大人たちの視線が絶えず交錯する。
大人が抱える閉塞感の象徴のようなモーテル、廃墟の数々。大人たちの視点に映るのは、現実に直面している抜け出せない貧困に苛立ちながら、それでもわずかなプライドを抱えて生きている人々の営み。
子供たちの視点で描かれるのは、よその人々が寄り付きそうにない廃墟をどう遊び場に変え、彼らにとっての楽園に染め上げて行くのかという、いたずらと好奇心に溢れた営みだ。
そして、今作で中心になるのは子供の視点。彼らには、大人たちの閉塞感を救うことはできない。社会を変えることもできない。
彼らにできるのは、目の前に広がる廃墟を遊び場に変えるだけ。極彩色でカラフルな建物や彼らの衣服をまとった映画の世界は、その色合いとは裏腹に鬱屈としたストレスがそこかしこにある。
そしてラストで提示されたのは、子供にとって精一杯の逃避行。終ぞ遊びを通じてコミュニケーションを
大人と子供の抱える心情のギャップがあまりに鮮烈で、そしてその中で飛んだり跳ねたりする子供たちはあまりに眩しくて、込み上げてくる感情の整理がうまくできなかった。
微笑ましいし、苛立たしいし、悲しかった。
③頑固親父ボビーという、数少ない良心
誰もが自分の生活を守るのに必死な中、ヘイリーとムーニーがクラスモーテルの支配人であるボビー(ウィレム・デフォー)は、大人の中でもひときわ光っていた。
頑固で自身にも多くの問題を抱えているけど、彼には母ヘイリーが見ようとしなかった現実が見えていた。悪態をつきながらも子供たちを守り、いずれ訪れる母娘の別れをなんとか阻止しようと、ヘイリーに更生の道を示唆したり。
あの荒んだ世界の住人なりに、他人の未来になんとか光を差そうとする。作中でも数少ない良心が、彼だった気がする。
④雑感
アメリカの社会情勢、貧困から抜け出すために必要なことは何かとか、考えだすとキリがないくらいに深い闇に覆われた世界を如実に描きだしたのが今作です。
その途方も無い閉鎖的な社会を思うと、気が重くなるし言葉に詰まります。
そんな世界でさえスクスクと育つ子供たち、教養がなくても懸命に子を愛す親たちを思うと、その全てが「間違っている!」と言えません。
処理しきれないたくさんの思いと、粗暴でまばゆい光を放つ子供たちの生きる姿。目に焼き付いて離れなくなる迫力が、たくさん詰まった映画です。