2049

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法の2049のレビュー・感想・評価

5.0
現代社会に生きる全ての人に観て欲しい傑作。

フロリダのディズニーリゾートの側の安モーテルでその日暮らしの生活をするシングルマザーのヘイリーと娘のムーニー。ヘイリーは仕事を理不尽な理由からクビになり、無職の状態だ。

母親が働いておらず、定住する家もない。明らかに貧しく、荒んだ生活が想像出来るが、映画は終始子ども達の視線で語られ色鮮やかに光り輝いている。
みんなでシェアする一つのアイスクリーム、モーテルの少し可笑しな住人、廃墟の探索、虹の麓、牧場の牛、飛び立つヘリコプター…子ども達にとってたとえ貧しくても、世界は宝物や魔法や冒険で溢れている…ショーン・ベイカーが子ども目線で活写する彼らの姿は、カラフルでどこまでも楽しい。
ヘイリーははっきり言って良い母親ではない。人としても余りにも幼稚で、自分勝手で他人に迷惑ばかりかけている。しかし、ヘイリーとムーニーは、一緒ならいつも笑顔だ。それは、最も大切なことのように思える。

物語が進むにつれ、そんな2人にヒタヒタと、しかし確かな絶望を伴って現実が忍びよる。

ヘイリー達が迎える現実は自業自得なのだろうか?ヘイリーは母親失格なのだろうか?確かにヘイリーの行動は間違ったものばかりだ。中には犯罪行為もある。そんなヘイリーのもとで育てられるムーニーが貧困から抜け出せる可能性はかなり低いだろう。それは全てヘイリーの責任なのか?ヘイリーに教養がないのも、仕事につけないのも、定住する家がないのも、全てヘイリー自身の責任だと断罪すべきなのか?

児童家庭局はヘイリーの行動の表層をなぞって、ムーニーを里親へ出すことを決定する。ヘイリーの行動の背景が、全てムーニーのためであることなど彼らには関係ないのかもしれない。まるで、iPhoneの画面を指でスワイプするように、簡単にヘイリーを社会の落伍者として弾き出す。経済大国アメリカの底辺で、這い蹲るように懸命に生きる人々に全ての責任をなすりつけ、無かったことにした挙句、自己責任論を振りかざし彼らを更に闇の底へと叩き落とす。今作は徹底的なリサーチによってアメリカ社会の闇と、彼らが放棄した責任を炙り出す。


日本は些細な失言や、間違いを犯した人間を徹底的に叩き潰す不寛容な社会になってしまっている。人々は日々怒りや不満を抱え、誰かが過ちを犯せばその怒りを、欺瞞に満ちた正義の剣に持ち替え一斉に断罪する。道を誤った人間に手を差し伸べ、共に未来へ向かい助け合いながら歩むことなどない。社会のため、正義のためといった大義名分のもとで、人々は互いに足を引っ張り合い、憎しみあっている。
この映画を観て本当に恐ろしかったのは自分自身だ。もし、自分が実際にヘイリーとムーニーに会ったとしたら…自分は何も考えず、表層だけをなぞって親子を批判したかもしれない…クズだと罵ったかもしれない。自分自身が不寛容社会を形作る人間の1人になっていたことを思い知らされたのだ。この映画は僕の目を覚まさせてくれた。すぐには変われないが、間違いなく観る前と観た後で自分が違う人間になったという実感がある。
いつの日か、人々が互いに支え合い、手を取り合う平和な世界が訪れるだろうか。ヘイリーとムーニーがいつまでも無邪気に笑い合える世界が訪れるだろうか。

懸命に駆け『夢の国』へと逃避する2人の背中を追いかけるラストショットは最早奇跡と言っても過言ではない。あまりにも強く胸を締め付ける。
この映画がたくさんの人の心に届くことを切に願わずにはいられない。
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