紅蓮亭血飛沫

映画キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ!の紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

2.3

このレビューはネタバレを含みます

必要以上に風呂敷を広げず、コンパクトにまとまっている構成だったのもあり、随所のコメディ要素がはっきりと目立っていた印象を覚えました。
動物モチーフであるプリキュア達が、この場限りの別モチーフに変えられてあれこれと奮闘する様はそれだけで笑みが零れてしまう、可愛らしさと面白さが備わっていましたね。
バンドのボーカルポジション、大声が持ち味の立神あおい(キュアジェラート)がナマケモノとなってしまい、常にダウナー気味になってしまうシーンがお気に入りです。

私個人が本作で特筆したいのは、本作ゲスト、ジャン=ピエール・ジルベルスタインの立ち位置を必要以上に否定しなかったというスタンスの提唱です。
プリキュア映画を含め、メインターゲットが子どもの作品は“私にはたくさんの仲間がいる!”と仲間との繋がりがあるからこそ一人では出来ない事も成し遂げられる、強くなれる…といった仲間至上主義を掲げるジンクスがあるように思います。
勿論そのメッセージ自体は何ら悪くありませんが、この手のメッセージを唱える場面は、高確率でこの言葉をぶつける相手が“孤独”である事や、仲間を切り捨てたりする悪役相手が多い。
つまり、「一人であれこれやってるお前より、仲間と力を合わせるこっちの方が強いんだぜ!」と、一人でいる事を選んだ者に対しての一種の挑発とも捉えられるような、綺麗事・優しさの押し売りからなる一種の蔑視として見えてしまう危険性がある…と以前から考えていました(と言っても、この手のシチュエーションはそれこそ相手が世界を支配しようとする悪者相手に唱えるようなものなので、その場合は全く気にならないのですが)。

その点、本作が描いたものは“孤独でいる事の強さ”でした。

パティシエとしての実力は折り紙付きのジャンでしたが、彼の独特なセンスは周囲から中々理解されず、必然的に彼は一人となってしまいます(シエルとピカリオは一応弟子として無理やりいましたが)。
しかし、ジャンはその環境を憎むわけでも、自分の才能・努力を認めようとしない人々を妬むわけでもなく、ただ真っ直ぐに素晴らしいスイーツを作る事だけを考えていた。
富や名声を欲するわけでなく、ただ自分が自分として生きられる道を歩んでいただけなのです。
それって、とても強い事だと思うのです。
気高さに溢れている人間味がありましたし、何よりジャンの生き方を真っ向から全部否定しない、多様性を意識した着地点が心地よかった。

仲間がいたからこそ今の自分がいる、大きな成長を果たしたシエル。
周囲に理解されずとも、一人ぼっちでも我が道を貫き今の自分がいるジャン。
どちらか片方の在り方を否定せず、両者の生き方を尊重する。
誰かの心を救済する使命を帯びた、プリキュアというシリーズ作品ならではのメッセージ性が顕著な作品だったのではないでしょうか。