梅田

ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリスの梅田のレビュー・感想・評価

3.7
ニューヨーク「公共」図書館というのは、「私立」でも「国立」でもなく、半分は民間からの寄付で成り立っているということらしい。図書館といった場合にイメージしがちな「本の山」「見渡す限りの背表紙」といった記号的なカットはほとんど無くて、かわりにこの映画の大半を占めるのが図書館を舞台にした様々なワークショップやイベント、あるいは運営側の会議、などなど。なんの説明もなくすべてがフラットに繋げられていくので、細かい内容にはあまりついていけないし、眠くなる。パティ・スミスの(おそらく自叙伝『ジャスト・キッズ』を刊行したときのものだと思われる)トークイベントの模様も長回しで使われているけど、他のシークエンス同様に人物紹介のテロップすら無いので、知らない人が見ても「誰だろうこの人は」と思うだろう(他にも有名人が出てたのかもしれないけど、僕は誰が誰だかさっぱりわからなかった)。

率直な感想としては、この映画はかなりしんどい。部分的にしか理解できないのに延々と続く長い会話に耐えているだけだから当然っちゃ当然なんだけど、でも、それだけじゃない部分も勿論あった。
まず一つは、ニューヨーク市民の知性は、確かにこの図書館によって支えられているという肌感覚が植えつけられるということの、ある種感動的な実感。図書館は「本がたくさんあるところ」ではなく、「知識のハブ」なのだということ。図書館は老若男女、人種や身分、全てに開かれた空間として存在していて、あえて映画のテーマとするまでもなく、寛容と反差別が貫かれているということは、3時間半で嫌というほどわかった。
もう一つはなんというか、ある点を超えるとその英語のグルーヴがものすごく気持ちよく感じてくるのだ。中盤、ヒップホップのようなリズムで詩を朗読する白人の青年のリズムと、後半、黒人のおかれた境遇について持論をぶつける黒人の中年男性のリズム。いろんなアクセントがその言葉の意味を超えて、まるでメルティングポットが奏でる音楽のように……そしてこの映画はとんでもなく美しい音楽とともにエンディングを迎える。
ワイズマンが意図したものかどうかはわからないし、そもそも僕はこの監督の他の作品を知らないんだけども、しんどさと気持ち良さが混在した映画だった。
梅田

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