ベルサイユ製麺

ポルトのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

ポルト(2016年製作の映画)
4.0


無限のように見つめ合う時間



もはや何回こんな事を思ったか分からないけれど、これがアントン・イェルチンの、恐らくは本当の最期の作品。でも、このまま“実はこれが遺作”が次々と更新されてくれれば、彼の死という事実も心の無限の地平の彼方に消失してはくれないだろうか?或いは認めざるを得なくなる前にこちらが。

ポルトガルの都市、ポルト。偶然出会い、余りに激しくロマンティックな一夜を過ごしたひと組の男女。確かに惹かれ合い、強く結び合ったお互いの魂。しかし男の想いは強くその場に留まるもので、女の想いはたまたま其処を通り過ぎただけのものだった、とかかもしれない。
…書いているだけで指先が震えてくる程、悍ましく、且つありふれた、甘くて苦い、不幸な出会いです。

一晩の出来事と、その前後の当人だけが知る予感や余韻。それを一章“ジェイク”、二章“マティ”、三章“マティとジェイク”の3つの視点に分けて描きます。
ジェイクは、まるで彷徨える魂に肉体が頼りなく付着しただけみたい。こんな事、ホントに言いたくないけど、ポルトという土地に縛られた亡霊みたいだった。それで彼の残留思念は同じ場所で同じ事を繰り返し、半ば針のように研ぎ澄まされ、一点を貫いてしまうしかなかった。
一方マティの魂は、様々な懸念や願望に引き伸ばされ、不安定にたなびきながらポルトの街を横切った。たまたまジェイクの魂がそれを貫いて、ジェイクにはそれがまるで針と針の先がぶつかったみたいに思えたかもしれないけど、マティにとっては違ったかもしれない。それでもマティが、正面からジェイクを受け止めた瞬間が有ったことは紛れもない真実。
マティとジェイクを同じキャパシティの、ひとりの人間同士と考えるのは間違っているのかもしれない。例えば、丸一日言葉を発する事なく過ごす孤独な魂にとって、深夜のコンビニで聞く「温めますか?」がこの世と彼/彼女を結び止める命綱である…とかありふれ過ぎてますね。あー残酷、残酷。
2人の間の出来事を“ありふれた事”だと捉えると、本作はそんな事がざらに起こってしまうポルトとという、ごくありふれた、しかし(誰かにとっては)特別な感傷に満ちた土地を主人公にした、ある種の日常系作品の様にも思えます。(※すいません、混乱しています!)
ああ、ポルトのなんとムービージェニックな事か。飴色の海面。風を可視化する鳥たちの軌跡。時には35mmのとろけ出しそうな表情を晒し、またある時は何者も受け入れない様なソリッドな宵闇の佇まいを見せる。息遣いを感じる。
技術的な事に疎いのですが、恐らく何種類かのフィルムを使っていて、ひょっとするとなんらかの法則で使い分けているのかもしれません。でも、それを検証するために何度も見返したりは、とてもでは無いけど出来る気がしない。

ジェイクがマティの引越しを手伝うシーン。
記憶の蓋がだらしなく開いた。
ずっと前、付き合っていた恋人が一先ず実家に帰る事になり、その引越しを手伝ったことがあった。夜中のマンションの階段を段ボールを担いで行ったり来たり。その時は、長く続く2人の物語の単なる一コマ、楽しい非日常的イベントの1つと思っていたけれど、実際はそこで2人の時間は終わってしまった。一番愛した人。思えばそれ以来、自分はずっと亡霊の様に実感のない身体を引き摺り、この土地を離れられないでいるのだ。
あの晩見た、オレンジのライトに照らされた緩やかにカーブするモノレール。目を瞑れば今だに思い出せてしまう。まるで35mmフィルムの様に穏やかな光と闇の余韻を残して。
この記憶は果たして自分だけのものなのだろうか?
無限の様に見つめあったあの時間は。