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三里塚のイカロスの小のレビュー・感想・評価

三里塚のイカロス(2017年製作の映画)
4.0
<誤解を恐れずに言うが、『三里塚のイカロス』は“あの時代”にけりをつけさせるための映画、ちゃんと死んでもらうための映画である。時代の悪霊となってこの世を彷徨うのはもうやめてくださいよという……。>(公式ウェブ「制作者より」監督の言葉)

成田空港建設反対運動(三里塚闘争)で農民とともに国家と闘った当時の若者たちの人生を追っていくドキュメンタリー。三里塚闘争の責任者という立場にいた者、農民と結婚した女子大学生、当時高校生だった活動員など、彼ら自身の口から、あの時のこと、その後の50年が語られる。

2013年5月15日、農家へ嫁に入った元支援の女性が自殺した。彼女の家は2006年4月に移転していた。移転したことがショックでうつ病になった彼女は、元プロレタリア青年同盟の幹部に「移転してしまって、同志に顔向けできない」と手紙で書いていたという。

1966年6月22日から続く三里塚闘争。頭上間近に航空機が飛行し、その轟音で会話ができなくなるようなところにある畑や家が、今なお存在している。

映画にはないけれど、用地買収がままならないことで成田空港は滑走路の拡張など機能強化が遅れ、反対運動を意識して夜間の飛行を自主規制している。国際競争力は低下し、海外の航空会社は直行便を廃止したり、減らしたりしている。国内の航空会社もドル箱路線を羽田にシフトしている。

三里塚闘争のホントウの目的は何なのか。農民の幸せ、闘争する自分達の幸せ、ひいては日本国民の幸せのためではないのだろうか。若者たちに“支援”されることで選択の自由が制約された農民たち、人生を“支援”にささげてきた若者たちは幸せなのだろうか。

幸せの手段であったはずの反対すること、闘争することが、いつの間にか目的に変わる。裏切り者を断罪し、空港側の交渉窓口の人物を攻撃する。過激な行動に一般の人々の心は離れ、彼らの闘争は忘れられていく。

彼らはまさに"時代の悪霊"。目には見えなくても、今なお人々の行動を制約し続けている。"時代の悪霊"でいることが彼らのアイデンティティーに必要なのかもしれないけれど、そのことに彼ら自身が苦しんでいるようにも見える。

<成田/三里塚の空港反対闘争で勝ったのは、国家と上手に和解し、高額の補償金を手にして移転した農民なのだろうか?空港は建設されたのだから、国家が勝ったのだろうか?農民を助けた“あの時代”の若者だけが負けたのだろうか?そこにあるのは勝ち負けなのだろうか?その答えを見つけるために、ぼくはこの映画を作った。>(公式ウェブ「制作者より」監督の言葉)

その答えははっきりとはわからないけれど、そこにあるのは勝ち負けではない、ということは三里塚闘争のことをよく知らない自分でもわかる気がする。

●物語(50%×4.0):2.00
・何でも一生懸命やれば良いというわけではない、人生の厳しさ、難しさを感じる。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・取材対象のバランスよく、きちんと取材している感が伝わってくる。

●画、音、音楽(20%×4.0):0.80
・即興ジャズの音楽、良かった。
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