つのつの

ミスミソウのつのつののレビュー・感想・評価

ミスミソウ(2017年製作の映画)
4.4
【少年少女への死ぬ気の教育映画】
とてつもなく楽しかった。
だってこれ痛快な復讐劇なんだもの。
劣悪ないじめを受け続けた主人公がついに堪忍袋の尾を切らし反撃に出る瞬間は正直スカッとした。
しかもいちいち死に際は漫画的に誇張されたグロテスクな描写が満載なので、溜飲が下がることこの上ない。
もちろんいじめっ子側の境遇だってなんとなく描かれるけれどそんなの彼女達がやったことに比べれば軽いもんさ。このまま主人公の野崎さんにはクソ田舎で大殺戮を繰り広げて欲しい!!!!
と思っていられたのは中盤まで、。

もちろんそれまでも映画の事前情報からなんとなくは察してはいたけれど、本作はそんな話ではない。
中盤の野崎さんと妙子さんが初めてまともなコミュニケーションをとるシーンから一気に本作は、痛快復讐劇から情緒不安定な中学生たちの暗黒青春映画の全貌を露わにする。
そのシーンで明かされるのは彼女たちの「イノセンス」だ。
それは劣悪な家庭や夢が叶わない閉鎖的な田舎という彼女たちの不遇な環境が描かれること以上に、観客の心を突き刺す。
かつてはあどけなく戯れていた少女たちは、些細な諍いから苛立ちを募らせ後戻りできない局面にまで到達してしまう。
本当はもっと色んなことを言いたいし、色んな場所に行きたい。
見たい人を見たいし、見てほしい人に見てほしい。
なのに彼女たちの年齢や未熟な感性はそれを許さない。
彼女達は劇中で何度も「死ね」「キモイ」という言葉を発するけれど、そのどれにも本音は見えてこない。ただその場の雰囲気に流された空虚な言葉だけが交わされる教室の殺伐さといったらない。
野崎さんが復讐の際に何度も、相手の顔を「見ているふり」をして凶器に手を伸ばす戦法を取るのも象徴的だ。
この不能感(もしくはそれを埋めるための全能感)は都会田舎関係ない話かもしれない。
青春時代になら世界中のどこの誰だって同じ心情になるのではないか。
本作で印象的に用いられる田舎の寒々しい光景はあくまで彼女たちの心情風景なのだ。
あるいは、青春に人生を狂わされるキャラクターが中学生達だけではないという設定もこの不能感の普遍性を補強するものかもしれない。
自身が持ち合わせることのできなかった「青春」という理想像を埋めようとするあまり教師として本当に大切なものを見失う彼女達の担任の先生だってまた「青春」の被害者だ。

ここに至って本作は遂に観客に向けてポップな暴力描写の裏に隠した刃をむき出しにする。
本作にまともな大人はほとんど登場しないし、事態の収束に寄与する役割を果たす大人はゼロだ。
「青春」に振り回されて凶暴化した中学生達を止める大人がいないからこそ、観客は次第に見ていて居心地が悪くなってくる。
「あなたは彼女達を止められますか?」と問われている気がしてくるからだ。
こんな凶悪な子供達なんて手に負えないよとは絶対に言えない。
だって彼女達の抱える苛立ちは普遍的だし、そもそも彼女達はまだ中学生なんだから。
青年期とは疾風怒濤の時代とよく言われる。
だからこそ激情に駆られて衝動的な言動に出てしまう彼女達には、それこそ「死ぬ気」で教育してくれる大人達が必要なのだ。

では本作の作り手は、主人公達にどのような「教育」をしてあげるのか。
かつて「見て」いたものをもう一度「見せて」あげるラストシーンに全てが込められている。
青春が持つ魔力に飲み込まれてしまった中学生達に対して、自分の成長=青春の終わりを感じさせてあげることこそが作り手ができるせめてもの優しさであり教育なのだ。
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