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スリー・ビルボードのこーたのレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
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アメリカの、忘れさられた街のはずれにある、三枚の広告看板(スリー・ビルボード)。さいごの広告が貼り出されれたのは1986年で、板は朽ち果て、みる影もない。どうせ誰も通らない道だ。母はその看板を利用することを思いつく。娘をレイプされ焼き殺された母は。捜査は進んでいない。どころか街の警官は、ろくに捜査もしていない。黒人に暴力をふるうのに忙しいからだ。虐待、差別、悔恨、救済。ありとある問題と感情が噴出する。それはこの街の問題であり、かつまたはかの国の、そしてわれわれの国の問題でもある。繁栄のうらでひっそりと進行している、分断と軋轢。それはがん細胞のようにひとを、社会を内側から蝕んでいく。自由の国は昨今、その自信と余裕を失い、大いに迷っているようにおもえる。そういう映画もさいきんは増えた。われわれのやってきたことは、ぜんぶまちがいだったのだろうか。みんななにかがおかしいと感じている。でも、どうしようもない。時間は無情にも過ぎていく。どうもわれわれは、重いものを重いまま受けとめて、それでもなんとか生きていくしかないのかもしれない。人々はそのことに気づきはじめている。受けとめて、ではどうするか。暴力による復讐?どうにも気が進まない。では別の方法?すぐには思いつかない。まあ、それは道々で考えればいい。いや、考えなければならない。わたしたちはいま、そういう岐路にたたされているのかもしれない。