賽の河原

スリー・ビルボードの賽の河原のレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.1
娘をレイプされ殺されたにも関わらず、犯人が捕まらないことに業を煮やした母親が街外れに3本の広告、ビルボードを出す...
というあらすじからは正直想像だにしていない話でツイストの利いた展開がスリリングで面白かったですね。
あくまで個人的な感想なんですが、主人公ミルドレッドも署長ウィロビーもディクソンでもみんなそうなんですけど「自分の中での正しさ」っていう行動規範で動くわけですよね。
例えば「警察批判の広告をだすミルドレッド」もまあ「娘を殺された母親」としてはなかなかに「正しい」ことをやっている、しかし一方でその「正しさ」は過去の自分の後悔を晴らすための独善になってしまうギリギリのところまで行ってしまう。
また署長のウィロビーも「犯人を捕まえられない理由」があってそれはそれで正しい。そして劇中盤で起こすある行動も「個人的な選択としては正しい」ようにも思えるが、その行動が決定的な分断を生んでしまう、しかもその分断が予想できるにも関わらず防止する行動を取らないという点において、やはり100%正しいとは言えない行動なんですよね。
そしてディクソンの行動も言わずもがな。いろいろな行動が一見すると「正しい」んだけどもやはり100%正しいとは言えない。
そういう意味でこの映画、「正しさ」の自明性に対してかなりメタな構造というか、一歩引いた姿勢の映画なんですよね。
翻って今の社会を見てみれば、やれ「黒塗り騒動だ」やれ「F1のグリッドガールがどうの」って話でみんな喧々囂々の議論してるわけですよ。
この映画でミルドレッドの「正しさ」がミズーリの小さな街のなかをバラバラに分断したように我々の生きている社会もいわゆる「ポリティカルコレクトネス」で分断されてるわけですよ。
本来は多様な価値観を包摂するための「正しさ」だったのにかえってそういう騒動で分断が進むっていうね。
んで、こうした状況って例えばアメリカのポリコレだけでなく「正しさ」信仰の病理として全世界的に普遍的だし非常に現代的なテーマですよね。なんでもそうですよ。原発でも沖縄でも女性でも差別でもね。「正しさ」を信奉する人々が分断を進めてしまうというね。
その意味ではこの映画が今描かれたのは非常に興味深いですし、「正しさ」に対して懐疑的な姿勢を貫いている点で「デトロイト」よりも好感が持てますね。アカデミー賞にノミネートされる、されないで言えばやはり本作の方が射程が広いような気がします。
「アルジェモーテル事件、酷くないすか?黒人差別とか最低だしこの状況は現代でも変わってないんだよ!」って憤るキャスリンビグローも結構ですが、それってミルドレッドが「正しい」と信じて広告出すのと同じじゃないですか?(乱暴な結論)
私は本作のラストに僅かに差し込む一縷の光、言い換えれば「赦し」ですけど、そういう力を信じたいと思いますね。

追記
ピーターディンクレイジ、最近ゲームオブスローンズ見てるんですけど本当にいい役者ですね。
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