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スリー・ビルボードの小のネタバレレビュー・内容・結末

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

大切なものを守る。人にとって一番大切なものは自分自身だろうと思う。しかし、神とか右肩上がりの成長とかが信じられなくなった現代社会において、その守り方はどうなのかを問う物語と自分的には受け止めた。

娘をレイプの末、殺された母のミルドレッドが、7カ月経っても犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、警察署長のウィロビー個人を攻撃した抗議の広告看板を町はずれに掲載する。

この段階で弱者・正義のミルドレッドが、権力・悪のウィロビーと対決する話と思ってしまう。ウィロビーを尊敬する部下のディクソンがいい感じに悪いヤツっぽいことも、そうした見方を後押しする。

しかし、話が進むにつれ、ウィロビーは皆から慕われる人格者である半面、ミルドレッドは相当酷い人であることがわかってくる。そして、ウィロビーを攻撃するミルドレッドも、敬うディクソンもアメリカ社会の大半を占める白人を象徴している。

きつい性格が災いし家族とも上手くやっていけないミルドレッド、性的マイノリティのディクソン、2人はともに孤独であり、得も言われぬ不安を抱えながら生きている。その不安を振り払おうと、他者に対し差別的に、攻撃的になる。

ディクソンは黒人を差別し、自分が敬うウィロビーを貶めたミルドレッドに協力する者に暴力を振るったり、逮捕したりする。ミルドレッドは家族だろうが容赦なくきつい言葉を浴びせ、自分を助けてくれた障害者を利用するだけで冷淡な態度をとる。

ミルドレッドが抗議の広告看板を出したのは、娘に対して放った言葉や態度が、娘を失う原因にもなったという自責の念を転嫁したいだけ。自分と向き合うことができないミルドレッドは、大切な自分を守るために他者への攻撃を続けざるを得ないのだ。

ガンで余命短いウィロビーは、自分に対する思い出が辛いものであって欲しくないと、家族と1日中楽しんだ後、自殺する。しかし、2人にとってウィロビーはあたかも神のようであり、彼はミルドレッドとディクソンの罪を背負って亡くなり、手紙という形で復活したかのように見える。

その手紙を読んだディクソンはすっかり改心し、 自分の過ちを認め、警察官らしく市民のため行動することに目覚める。一方、ミルドレッドは自分自身を支えるための抗議の広告看板を援助してくれたのがウィロビーであることを知る。そして2人は思う。自分は孤独ではなかったのだ、支えてくれる人はいるのだ、と。

警察をクビになったにもかかわらず、ミルドレッドの娘を殺害した犯人逮捕に文字通り体をはって必死に捜査をするディクソンに、ミルドレッドはついに「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える。

他者は自分の自我を危うくする存在であるという一面的な見方しかしてこなかった2人はウィロビーの導きによって、他者はお互いを支え合う存在でもあることに気付き、2人の中に人間性が芽生える。

ラストのエピソード。ディクソンが犯人間違いなしと確信した男には完全なシロを裏付けるアリバイがあった。2人は落胆するも、男は悪いヤツに違いはなく、放っておくと新たな被害者がでるからと、殺しに行こうとする。

しかし道中、ハタと気づく。自分達はもう、他者を攻撃する必要ないのではないか、と。

余裕がなく自分のことしか考えられず、世知辛くなってきている世界において大切な自分を守るにはどうすれば良いのか。

『わたしは、フェリシテ』は自分が幸せであることに気づけという。『ジュピターズ・ムーン』(感想はこれから)は天を見ろという。本作は憎しみ合うのではなく、支え合えという。

3作ともテーマは根っこでつながっているけれど、物語として緊張感を保ち、引き付け、離さない、本作がアカデミー賞作品賞の最有力であるのは納得かな。

●物語(50%×4.5):2.25
・助け合えというテーマを飽きさせることなく効果的に示すことに成功していると思う。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・3人の演技がとても良いのではないかと。ミルドレッドの表情が忘れられない。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・良かったと思います。
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