140字プロレス鶴見辰吾ジラ

スリー・ビルボードの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.7
”愛と正義と怒り、そして許される者”

怒り、それは燃え上がる感情。
これに支配されたら人は道を失う。

正義、それは自身の信念の先。
正義は常に一本道で相容れない。

愛、それは受け入れること。
怒りや悲しみや心のズレを修正する希望…
のようなものなのか?

アメリカの片田舎、
少女がレイプされ焼かれた。
進展しない捜査、
正義を求めた者。
それに怒りをもった者。
愛で許しを希望した者。

三者三様。

万人が万人に対する闘争。
怒りは怒りを呼ぶ。
愛で許しを送る者がこの連鎖を断つ…
希望なのだろうか?

文句なし傑作、だが一筋縄ではいかない。
シリアスな社会派サスペンスの広告
その裏はブラックコメディであり
ハートフルなヒューマンドラマ。

何から語ればよいか困惑するほど複数の一本道を合流させる脚本の妙。怒りと正義で悪を正すカウボーイ映画のような表情で、普遍的な愛や許しの正しさを伝える聖書の如き寓話の面も持っている。正義は決して怒りと相容れず、正義か悪で生きている人間ほど社会不適合者と後ろ指を指されるこの世界。怒りを表に出す人は、常に本質が露わになることを恐れて、強がりながら相容れない可愛げのある人物。世界は正義で正せないし、怒りで世界は支配できない。それならば愛という物質的ではい者は救世主になるだろうか?

「隣人を愛せ」

神にすがることは決して何ももたらさない。
神は常に沈黙を貫き通す。
ならば神のごとき、愛を贈り物のように
そして隣人を許し恩贈りのように前に進めればよい
それは正義の拳でなく、怒りの支配ではない。
前に進むための勇気と希望になりえる。

「これからアイツを殴りに行こうか!?」

映画の冒頭とラスト
あなたの心に何が問いかけられ
どんな答えが思いつくだろうか?

普遍的であり、心に寄り添ってくれる
そんな寓話がここにある。



追記)
役者が本当に良いし、投影されたキャラクターへ次々に視線を誘導される演出と脚本も見事。最初はミルドレッドの正義感に格好良さと感じ、ディクソンの愚かさを嫌悪しながら、ウィルビーの聖人的な仕事への一途さ、妻と子供たちへの愛に心を打たれるので、ウィルビーを主軸に見たくなってしまう。そこから中盤のあるシーンから、その愛がある形で配られるところから、正義と怒りの狂っていく矛先がどうしまわれて、道中ともにするのかとスリリングなその瞬間の武器と感情を映すカメラワークから答えにたどり着く所作を追う場面は圧巻だった。ミルドレッドを同情的でなく、ディクソンも嫌悪の対象でなく、最後に何かに続く、おそらく希望に続く道であってほしいと願う先を心の中に映そうとするのもまた涙がジワリと・・・