フッヂマン

スリー・ビルボードのフッヂマンのネタバレレビュー・内容・結末

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

久々に、いい映画を見た。今の自分にピッタリだ。
この映画を一言で言うなら、「人間の表層と本質は全く違う」という話だ。
表面的には、娘がレイプされ火をつけられて殺された母親が、9ヶ月経ってもダラダラ操作している警察に苛立ち、田舎の看板広告(3つのビルボード)に、いつになったら捕まえるの?的な言葉を出す、というもの。その効果は大きく、街にトラブルを巻き起こすが、結果犯人は不明のままで終わる。

そこがいい。
前述のように、勧善懲悪の話ではないし、事件そのものや背景がテーマではない。

キーマンは、明らかに署長である。
人望もあり、家族にも優しく、成果も出している警察署長が、その母親には責められ、またガンで周りに迷惑をかけることを危惧して自殺する。
そこで私は号泣したわけだが、その後残した手紙が。特にディクソンへの手紙が全てだった。
ディクソンは差別主義者でキレやすく、マザコンでサボりがちの悉く嫌な警察官として描かれるが、署長は手紙で、お前は素質がある、というのだ。
人に愛をもてば、おまえはきっと立派になる、と。

自分もまさに、こういう署長のようになりたいのだ、ということに気づく。本当に嫌なやつなんていなくて、何か抱えていたり、たださみしかったり、そういうものが悪い表層となって出てくるのであり、そこに人は目を向けない。

ディクソンに、犯人を見つけさせなかったのも良かった。人生、そううまくはいかない。そのおかげで、自分の母から旅立ち、主役の母と意気投合するが、実は殺すということに思いを込めているかといえば、「あんまり」なのだということに、2人だから気づく。
旅路でゆっくり決めればいい、これもいいセリフ。自分のことだってよくわからないけど、考えていこうよ、時間をかけて、と。

小さな「優しさ」が通い合い、やっと人間らしい会話が始まる、そういう、とてもリアルな、地に足のついた映画だった。
大盛り上がりはしないけど、引き込まれた。鑑賞のきっかけを作ってくれた友人に感謝。
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