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ブリグズビー・ベアのkmtnのネタバレレビュー・内容・結末

ブリグズビー・ベア(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

本作を観終わってまず思い出すのは「ビッグフィッシュ」、「ライフ・オブ・パイ」。
映画愛と一括りにするのではなく「物語の意味」を問いかけるような話だったように思う。


宇多丸さん番組内で、「マーク・ハミルが番組を作る意図がわからない」という批判メールがあったが、
決して説明が無いわけではないと思う。
マーク・ハミルはジェームズを愛していて、全てを与えても良いと思っている。
幼い彼の為に出来ることを精一杯考えて出来上がったのが「ブリグズビーベア」だったのは、容易に想像できる。


そこには豊かな想像力があり、数学があり、知恵と勇気がある。
そして、ジェームズは彼らの望むような優しい青年(少年?)に育った。


誘拐犯であるテッド(マーク・ハミル)とエイプリル(ジェーン・アダムス)が悪人一辺倒に描かれていないのが、
今作のある意味でのバランスの良さで(人によってはそれが変だと思うみたいだが)、
彼らは誘拐犯ではあるし、妙なカルト宗教に取り憑かれた夫婦ではあるが、
決して歪みきったペシミストではない。
むしろ考え方的には、非常に前向きな夢想家とも言える。


私はこの作品を観終わってから、イスラム圏の女性が被る黒い布「ヒジャブ」のことを思い出した。
アングロサクソン的な考え方に染まった人間(もちろん私も含めて)には、好きな格好もできずに、あんな物を被らされているイスラムの女性は「かわいそう」に見える。
しかし現地の女性からすれば、ヒジャブはかわいそうな格好ではないし、それが当たり前なのだ(もちろん嫌がっている人もいるとは思うが)。


常識とは文化や生まれた場所で容易に変わってくるもの。
もしも私たちが自分たちと異なる常識の人間と出会った時に、それを非常識と呼んで切り捨てるのは、果たして妥当な行為なのか?
そこに意味も価値もないのか?


ジェームズのように25年間隔離されていない人間であろうとも、
その個人にしか分からない価値観や常識なんて沢山ある。
その一つ一つを異常と言ってしまうのは、悲しいし、世界を狭めてしまう。
私たちに出来ることは、認めること。そして分かろうと努力することじゃないだろうか(もちろん、何でも認めろとはいわない。人を殺すことを認めろとは言うつもりはない)。
そしてその努力が、また自分自身が他人から肯定される上にで必要不可欠なものだと思う。


ラストシーンは不覚にも泣いてしまった。
ジェームズはブリグズビー・ベアと向き合って、ひとつ何かを消化したのだろう。
さすがは、フィル・ロード&クリス・ミラーコンビというか……。
ハチャメチャなのに、めちゃくちゃ綺麗に畳んでくるのはもうお家芸。素晴らしい作品でした。


※追記
そーいや書いてなかったんですけど、今作のマーク・ハミルは本当に良い!!
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