あなぐらむ

ワンダーウーマン 1984のあなぐらむのレビュー・感想・評価

ワンダーウーマン 1984(2020年製作の映画)
4.1
ムービープラスにて。CS初放送、これもコロナのせいで見送っていたので助かる。
ジャンキーXLの華麗なギタープレイと共に、ワーナー・DCのコミックものとしては非常に良好なランディングをしてみせた女性ヒーロー、ワンダー・ウーマンの続編である。ザック・スナイダーが構想していたジャスティス・リーグのラインからキャストは継続して、ガル・ガドットは四度目のダイアナ・プリンスとなる。一作目は歴史ものとしたことで見事にヒーロー映画として成立したが、シリーズものの最大の難所、続編はどうか。

ヒーローものの常道として、二作目で主人公は自分の影(ネガ像)と闘う事になるのだが(ノーラン版「バットマン」、「アイアンマン」参照)このWW84(以降この表記とする)もストーリーテリングとしてはそれを踏襲する。少々長めのダイアナの少女時代のエピソードから非常にオーソドックスにそれを提示し、同時に物語のテーマにも触れて行く。この主題はアメリカ人共通のものであり、根源的なものである。
曰く、「人生には時期があり、努力をせずズルをして先回りをしても、それは勝利(自己実現)ではない」。アメリカン・ドリームを手にするのは、ラックを持った人ではなく、たゆまぬ努力をした者である、と。
もうちょっと刈り込んでもよいだろうこの導入を延々と、「競争」という形で人の動作として一連を見せる事で、続く本編で何が起こって行くのかを、観客に想起させている。

今作でも近過去、1984年が舞台となっているが、劇中も言及される「スターウォーズ計画」に見られるベトナム戦争後一度疲弊したアメリカが、レーガン(タレント大統領である)政権時のイケイケどんどんだった頃、アメリカン・ドリームがあちこちで人々の実感するものだった頃であり、本作では脚本も担当した監督、パティ・ジェンキンスが思春期に見てきた時間のお話でもある。
アメリカのゴールデンエイジは俗に1950年代と言われるが、舞台を80年代に設定したのは今の現役の若い世代(日本も含む)への訴求を狙ったのと、2020年代との文化の持続性と差異(所謂カルチャーギャップ)を描きやすくなるからだろう。ヒーローがずっと存在している世界というものを、偽史として描く事(考えると、「マン・オブ・スティール」以前に既にダイアナはアメリカを蔭ながら救う存在としていたのだ)。DCの世界観はマーベルよりずっとロングスパンで設定されているのが分かる。

さてそうして外堀を固めてはいるのだが、お話の基本線は「仮面ライダー電王」と同じシンプルな構造になっている。ここで先に書いた「ズルしちゃ駄目」というスパイスが効いてくる。人の願い、アメリカン・ドリームこそが、今回のダイアナの敵となる。
一人はバーバラ。女っぷりの悪い学者肌の女性。80年代の飛んでるオンナが巷を席巻する中で「弱者」となる地味めの女。
もう一人は口先だけでのし上がる実業家・マックス・ロード。タレント性を持ち、スピーチだけは巧く、人を欺いて成功を収めようという男。こちらには幼い息子がいるという捻りがある。
これは男女とも「成功」という価値観は違えど「願い」を叶えたいという一心が邪念となるのだが、その対抗軸で最初から「神」としてダイアナはいると。完璧超人ですよと。そういうプライドみたいなものを今回のホンからは感じるし、その一方でそんな完璧な女であってもどうにもならないのが恋心、というロマンティックもまた折り込まれていて、そんな彼女の願いは「普通の女になりたい」というのがまた嫌らしくて、やっぱこれ少女漫画じゃね? みたいな感慨を抱くものである。
彼女の願いで復活するトレバー(しかし、死者でも蘇えるのね)の止まっている時間と文化について、今度はダイアナがレクチャーするという前作の返しを行っていてシリーズものとしては愉しい。同時に中盤以降をバディものにする試みであり、いつかは選択を迫られる「枷」としてトレバーは機能している。そして彼女は今回も、「世界」を選ぶ。これそ女の自立、という事なのかもしれない。しかしクリス・パイン歳とったねぇ。ガル・ガドットはそんな変わらないのに。

バトルシーン自体は様々な別ヒーローの要素を取り入れていて、真実の縄で移動するシーンはスパイディ寄り、大空を滑空する様はスーパーマン風味と、WWがDCだけではなくアメリカを代表するヒーローになった事が明示されている。対ヴィランのバトルも今回はチーターという等身の敵である事でダイナミックさが出た(とは言え、グリーンバック主体なのは致し方ないのか)。中盤のカーアクションはちょっとワイスピ感もあってお得。

ジェンキンスの父親は有能なパイロットだったようで、その屈託のない憧憬がトレバーとの花火の中の透明飛行のシーンに反映されている。
一方で負の父親であるマックス・ロード(前大統領の戯画化であり、父権国家アメリカの象徴でもある)には「願いを叶えてしまう石」になってしまう事で自我崩壊していくというジレンマを描いて、民主主義国家制度の弱点を見せもする。人々に願いを言え、とマックスは繰り返す。彼自身が願っているのではなく、あの混乱は人々の我がままな願いの結晶としてあるのだ(国家間に壁も作ってしまう)。

音楽が今回はジマー先生のシンフォニックな編曲になっていて、スケール感を出していたと思う。
フェミニズムだけでなくアメリカという国の自由と諸刃の脆弱性も描き出したWW84だが、ここにワーナー/DCの「生真面目さ」が表れてもいる。よく出来ているが面白いのかと言われるとうーん、となる。むろん、沢山のユーモアもあるのだが、教訓話的なところで留まってしまうのがドキュメンタリストであるジェンキンス監督の弱さだろう。尺が長いのがね。リンダ・カーターが出たのは良かったよ。