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そこにとどまる人々のeigajikouのレビュー・感想・評価

そこにとどまる人々(2016年製作の映画)
4.0
ナディーン・ラバキー監督『キャラメル』『私たちはどこに行くの?』共に再見しエリアーン・ラヘブ監督『そこにとどまる人々』見て「E.ラヘブとN.ラバキー アラブにこだわる監督たち」2人の監督に負けない行動力の佐野光子さん熱いトークを聞いた。

山形国際ドキュメンタリー映画祭2017の本作の作品説明
「シリアとの国境に近いレバノン北部。長く続く宗派間紛争やシリアでの戦闘により農地は放置され、かつては異教徒が隣り合わせで暮らしていた村にも排他的な空気が覆う。ハイカルおじさんはりんごや羊を育て、石を一つひとつ積み上げては、別れた妻や子どもたちがいずれ帰ってくるための家を建て、食堂を切り盛りするルワイダと、いつも通りの日常を送る。この土地に居続ける行為そのものが、まるで使命であるかのように。」
シリアはキリスト教徒とイスラーム教徒が住む国。ハイカルの住む地域はマロン派キリスト教徒が住みその周りにはイスラーム教徒が
住んでいる。ラヘブ監督はマロン派キリスト教徒だが、自分の当事者としての立場に拘泥することなく客観性、批評性を保ちながら、ハイカルに様々な質問をする。ハイカルの表情や返答の端々に現れる機微を逃さず撮って(取って)いる。

作品解説ページにある監督のことば
「ハイカルの物語が現在の政治において重要なのは、その名が示すように、彼が地理や宗派が交叉する地域(シーア派が開拓したヘルメルと、スンナ派の支配するレバノン・シリア国境地帯、それから彼の住むキリスト教徒の村)を守護する聖堂のような存在であるからだ。それは、過激派の脅威への恐れが広がるなか、自分たちの土地に留まろうとするキリスト教徒たちの欲望を表している。宗派にこだわる他の村人たちとは違い、ハイカルは自ら手を動かすことで抵抗する。イスラム教徒と共に暮らすキリスト教徒として、彼はこの土地に根付いている。
ハイカルは自らがうちたて守る住処における聖堂のような存在なのだ。『そこにとどまる人々』は、地中海東岸のキリスト教徒をその土地に単に留め置こうとするだけの国内の状況に対するメタファーとしてハイカルの物語を見つめようとするものだが、それは何らかの宗派的立場からなされるのではない。というのも、ハイカルの主要な部分を占めているのは、人間としての彼であって、宗派としての彼ではないのだから。」
ラヘブ監督はジョスリーン・サアブ監督の教え子。アラブにこだわる映画制作をしながらそのアイデンティティの殻に閉じ籠るのではなく、映画祭も運営し世界に普遍性のあるアラブ映画を精力的に発信し続けている。
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