Chimpsha

少女は夜明けに夢をみる/ 夜明けの夢のChimpshaのレビュー・感想・評価

3.9
登場人物がカメラを意識し、カメラに向かって演技しながら、そのことによって演技の向こうに現実が透けて映しだされる。カメラの外側から語りかけられる監督の口調は穏やかだが、若年女性の厚生施設に異物として──唯一の男性として、社会的に安定した層として──入り込んでいるという情報によって、鑑賞者は常に緊張した関係を映画から読み取り続けることになる。その意味でこれはイランの女性たち、若年女性たちの抑圧された状況を人権問題として訴える映画であるが故に、若年女性ではない監督が、イランから遠く離れた私たちが異物として問題に関わることの限界を映す映画でもあり、しかもそのような二重性を映画に見ること自体がテーマである女性たちの問題を曖昧にしてしまうという意味で、二重性自体もまた二重に問題になってしまうだろうし、このレビュー自体もどうしようもない異物としてここに綴られることになってしまう。隠すことのできない異物感。しかし、カメラとして遍在するこの異物感は映画において、登場人物たちの演技を、演技ではあるが魂のこもった嘘偽りない演技を引き出していく。
不安な面持ちで壁の前に立つ演技、パペットを愛する男の名で呼ぶ演技、赤ちゃんに笑顔で話しかける演技、歌う演技、泣く演技、インタビューを受ける演技、インタビューを受ける演技に合わせてインタビューをする演技。登場人物たちは日常に溢れているささやかな演技を用いつつ、ありふれてはいるが解決することが極めて困難な社会問題──貧困、性的虐待、薬物依存などを被害者として、もしくは被害者故に加害者になった者として、ベッドに腰掛けながら(もしくはテーブルの上に腰掛け雪だるまを作りながら)語る。そして登場人物たちはそれぞれのありふれた物語によって共感しあい、傷を癒やしながら、あるいは癒されることのない傷を抱えながら再び家族と社会から成る外のコミュニティへと旅立っていく。果たして登場人物たちはこのようなささやかな演技を厚生施設のフェンスの外側でも、映画の外でも続けていくことができるのだろうか? まるで分からない。生まれてくる子供が男の子か女の子か分からないように、だ。女の子だったら殺す。あるいは男の子だったら殺す。
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