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泳ぎすぎた夜のshxtpieのレビュー・感想・評価

泳ぎすぎた夜(2017年製作の映画)
2.5
三宅唱や五十嵐耕平といった映画作家が音楽家たち(もちろん、 butaji とか)と交流があり、彼らのビデオを撮っているというのは興味深いし、健康的な状況であるような気がする。何かもっとこう、それがスパークするようなことが起きればとも、勝手に期待している。

極めてコンセプチュアルだった『息を殺して』とは対照的に、五十嵐と『若き詩人』のダミアン・マニヴェルによるこの『泳ぎすぎた夜』は、かなり削ぎ落とされた、最小限の要素でのみ構成されている。そもそも前作からしてセリフは少なく、淡々と静かに、映像によって物語る映画ではあった。が、『泳ぎすぎた夜』では、セリフが一切ない。それがうまくはたらいているかというと、少し微妙なところではあるものの……。

少年の、動物的な動きはかなりおもしろく、目が離せない。ユーモアもある。映像そのものは気持ちよく乾いてはいるが、どこかナイーヴさも感じる。スタンダードサイズで、なおかつ徹底的にフィックスで撮るのだという気合いは感じる。しかし、シンメトリーを意識しすぎた構図に退屈さを覚えないわけでもない。そして、致命的なところは、ピアノによる音楽が凡庸であることだ。

優しく、柔らかく、それなりに野心的な映画ではあるが、結局何を見せたかったのだろうかと考えさせられてしまった。ドラマがない(わけでもない)。それは保守的なドラマのあり方に抗う方法だ。だからこそ、そうしたドラマの意義を見せつけてほしかった。

五十嵐の次の作品には期待したい。
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