むーしゅ

タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜のむーしゅのレビュー・感想・評価

4.3
 実在するドイツ人ジャーナリスト、ユルゲン・ヒンツペーターの体験を基に、韓国で1980年に実際に起きた光州事件をテーマにした映画。この事件の後、1987年の6月民主抗争につながっていくわけですが、改めて見ると韓国の民主化ってつい最近のことなんですね。隣国なのに意外と忘れがちです。

 1980年6月、ソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、10万ウォンと言う高額な運賃にのせられ、ドイツ人記者ピーターを乗せ光州へと車を走らせる。光州に近づくとそこにはなぜか軍隊の検問が。お金を貰えなくなっては困るマンソプは何とか光州にたどり着くが、そこで軍による暴虐を目撃する、という話。たかだか40年弱前という近代において、こんな痛ましい事件が起きているということ自体、平和ぼけしている日本からすればある意味衝撃。ちなみにこの事件が起きた光州広域市は、ソウルから高速バスで約3時間半、韓国で6番目に人口が多い都市(日本の6番目は福岡)です。

 この映画の見どころは何といっても、運転手マンソプを演じるソン・ガンホ。何も知らないソウル市民で、お金に目が眩んでしまった、でもただの運転手。その彼のフィルターを通してこの事件を見ることは、自分がその場に放り込まれたような衝撃があります。戦争映画でよくあるその地域に住む市民の目線というのは、確かに戦争にとって第三者ではあっても、そこで暮らす以上まもなく地域が戦場になるかもしれない危険性を知りながら生活をしているので、悪夢が現実になったという気持ちはあっても、えっなぜ?という気持ちは起きません。しかし戒厳令によって封鎖された光州の外から何も知らずにやってきたマンソプにとってこの状況は理解できません。ましてやピーターはこの状況を知ったうえで命を懸けてきているわけで、彼とは全く違います。マンソプが感じたであろう、とりあえず何から考えたらよいのかわからないというような不安と困惑を主演のソン・ガンホが見事に演じています。特にこのひとの笑顔満開のポスターを見てわかるように、イメージは陽気なおっさんなんですよね。鼻歌を歌うのが好きな陽気なおっさんから笑顔が消えていく、というのがなんともつらいです。

 そしてもうひとつの見どころが光州で出会うさまざまな市民です。ピーター達二人は光州での撮影を通して、多くの市民に出会っていくのですが、もちろんそんな市民にも軍からの銃は向けられます。地方都市であることもあり、市民同士で互いを助け合いながらなんとか戦おうと生き抜こうと一致団結している姿がとても印象的でした。特に後半はピーターの映像を世界へ届けてほしいという思いから、命を犠牲にしながらもとにかくピーターを無事に帰すことに尽力していき、これこそ使命を命でつなぐバトンだなと感じました。最近の韓国映画では珍しく、お顔をいじっていない方々ばかりで、特に男性出演者はなかなか個性的な顔をしているのですが、そこがまた素朴でとても良かったです。

 少し残念だった点といえば、ちょっとエンタメ要素の脚色がすぎるかなということですかね。最後に軍とのカーチェイスシーンがあるのですが、あれはまぁ余計かなと思いました。またその他、タクシー運転手達でやるぞ!というシーンもありましたが、まぁそこもちょっと脚色がすぎるかなと。ドラマ要素を出すための脚色としてはわかるのですが、既に衝撃の大きい作品であるが故、わざわざ追加する必要はなかったかなとは思います。まぁそういうエンタメ盛り上がりシーンを追加しちゃうところは韓国映画っぽい。

 映画の最後でモデルとなったユルゲン・ヒンツペーター本人が出演し、運転手との再会を夢見ているコメントを寄せていましたが、結局運転手と再会できないままユンゲル氏は他界してしまいます。しかしその後、運転手キム・サボク氏の息子が父とユンゲル氏の写真を公開し、サボク氏がこの事件の4年後(1984年)に癌で亡くなったことを公表しました。民主化に貢献したのに民主化を前に亡くなったんですね。またサボク氏は本当はタクシー運転手では無く、外国人記者たちのガイド運転手だったそう。ちなみに2人は、一度光州を出て映像を日本へ送り、その後再び光州に戻るということで、実際は2度撮影を実施したそうです。
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