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タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜のhirogonのレビュー・感想・評価

4.1
光州事件での軍事独裁政権の民衆弾圧の実態を描いた作品。

冒頭に「実話を基に再構成した内容」とのテロップが入る。
基本部分は実話ベースですが、特に後半の展開は、お話を感動的にするためにかなり脚色が入っていそうです。

光州事件の概要は、冒頭でも説明されます。
死者の数だけでも、”市民164人、軍人23人、警察4人”(情報源により多少の幅があるようです)
wikiによると、
「朴大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていた。
1979年12月、全斗煥陸軍少将は軍事クーデター(粛軍クーデター)により実権を掌握。粛軍クーデター後も全国各地で反軍部民主化要求のデモが続いていた。全斗煥が率いる新軍部は1980年5月、全国に戒厳令を布告し、執権の見込みのある野党指導者の金泳三・金大中や、旧軍部を代弁する金鐘泌を逮捕・軟禁した。金大中は全羅南道の出身で、光州では人気があり、彼の逮捕が事件発生の大きな原因となっている。」

ソウルで個人タクシーを営むキム・マンソプ(ソン・ガンホ)は
奥さんを亡くしていて、まだ小さな娘さんと二人暮らし。
戒厳令下の情報統制状況において、韓国国民には光州で起こっている事件の正確な実態は報道されていなかった。
また、交通統制により光州へ通ずる主要道路も通行禁止の措置がとられていた。

ドイツマスコミの日本駐在記者であったピーターことユルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)は光州で動乱が起きているという情報を聞きつけ、現地へと向かった。
ソウルに入ったピーターは、タクシーで光州に向かうことにしますが、光州行きのタクシーの運転手として雇われたのがキム・マンソプ。

光州に到着するまでと、光州に入って以降の雰囲気はガラっと変わります。
前半は、ソン・ガンホのコミカルな演技が笑いを誘います。
後半は、光州での軍部による民衆弾圧の様相が胸に刺さります。
光州では、ジェシク(リュ・ジュンヨル)ら学生達やテスル(ユ・ヘジン)らタクシー運転手仲間と出会い、交流も深まるのですが…。


(以下、ネタバレ)
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光州では、目を覆うような出来事が次々と起こります。
二人は、「この事実を世界に報道して欲しい」という光州の人たちの要望を胸に抱えて、光州からの脱出を図ります。

光州から二人で脱出する場面で、山の裏道にまで検問が設けられてトランクの中までチェックされるシーンがあります。
この時に、チェックしていた軍人が、怪しい物を見つけたにも関わらず検問を通っていいと促します。
監督は、あのシーンで、軍人の中にも民衆弾圧に対して疑問を持っている者がいたことを表現したかったのだと思います。

”キム・サボク”というのが、実話での本人の名前ですが、映画では”キム・マンソプ”という名前になっています。
空港での別れのシーンでピーターがキム・マンソプに連絡先を聞いた時に偽名とウソの連絡先を教えます。その名前が”キム・サボク”。
後で政府から追求される危険を懸念した対応として描いているようです。

エンディングで、実際のピーターのインタビュー映像が流れます。
ピーターは、キム・サボクに会いたがっていたのですが、現実には再会することはありませんでした。彼は映画が公開された2017年の直前、2016年に亡くなります。

日本は、民主化に至る過程で血を流すような痛みを経験してきていません。世界的には民主化に至る産みの苦しみ経験した国の方が普通です。
他国の話ではありますが、その経験の記憶を自分たちの糧とする考え方も必要かも知れません。


P.S.)チャン・フン監督のコメント
~ネットからの抜粋情報~
「光州事件はあれほど大きな悲劇だったにも関わらず、40年近く経った今、韓国の若い人たちの多くは、何が起こったのかあまり深くは知らない状況です。光州事件での市民たちの戦いがなければ、現在のような民主化はなされていなかった可能性もありますし、犠牲になった方々の名誉のためにも、今、改めてこの事件を広く伝える必要があると考えました。事件当時は私自身もまだ幼かったため、何が起こっていたのかはわかりませんでしたが、周囲の大人たちが涙を流していて、これは本当に大変なことなんだと、肌では感じていました」

P.S.)キム・サボクのその後
~wikiより~
「映画が2017年8月の公開後に韓国国内で大ヒットすると、9月に息子のキム・スンピルがその存在を明らかにした。スンピルは父サボクとヒンツペーターが一緒に写った写真をメディアに公開し、サボクが光州事件の4年後の1984年にガンで亡くなったことを明かした」
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