賽の河原

タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜の賽の河原のレビュー・感想・評価

3.8
こんなハートウォーミングな雰囲気の映画と見せかけて、中身は思っていたのと全然違う話だったんですけど、かなり面白かったですね。
1980年5月に民主化を求める民衆蜂起と軍の衝突によって起こった「光州事件」という史実をベースにした話なんですけど、まぁ恥ずかしながら全く光州事件に関しての前提知識ゼロで観に行って「こんなことがあったのか」と知見が広がりましたね。
まあざっくり言ってしまえば天安門事件とか「デトロイト」みたいに、軍隊がデモ隊や市民に対して暴虐をするっていう。時代は軍事政権ですから光州でそんな酷いことが起こってることなんかまともに報道されてないわけですよ。
それを取材するドイツ人記者をソウルから光州まで、軍の検問とか潜り抜けつつ主人公が送り届ける、という話。
この主人公のタクシー運転手、まあソン・ガンホが演じてるんですけどなかなかコミカルでほのぼのしてるわけですよ。このソン・ガンホ、ポスターでは笑みを浮かべているわけですけど、ソン・ガンホが笑顔を失うとき、我々観客は光州の惨状、軍隊の暴虐に戦慄せざるを得ないというね...
この映画、特に上手いなあと思うのはこの主人公に序盤に「デモやるために学生は大学入ったわけじゃねーだろ」とか「何だかんだ言って韓国はむちゃくちゃ恵まれてる国だからな」とか言わせて、そういうデモ的なるもの、リベラルしぐさ、っていうものを批判させるわけですよ。
ところが光州へ着いてみると「えっ、なんすか...この人権とかが蹂躙されてる状況は...」となる。
言わば、「自分の権利が侵害されるまで、他者の権利が侵害されることに対する想像力が欠如していないか?」ということにうまく警鐘を鳴らす作劇だと思うんですよね。「デトロイト」とかなんかより説教くさくなくていいですよ。
あとは舞台が1980年なんですけど「ちゃんと1980年に見える」っていうのも凄いですよ。ソウル市街とかもバンバン撮ってるのにちゃんと実在感があって尚且つ整合性のある画が撮れてる。これって簡単なように見えてかなり凄いと思うし、ちょっとしたカットでも「対向車線からタクシーと並走して撮ってるのに手前は対向車が走り抜ける」みたいな「何気ない映像なんだけど実際に撮るとなるとすげえ手が込んでるな」っていう映像も凄いと思いましたね。
終盤はわりと蛇足というか、脚色が強めでタクシーでカーチェイスとかしちゃうんですけど、作品としてリアリティラインが乱れるっていうデメリットよりも「やっぱりこのスケールでカーチェイス撮れる韓国映画って凄えな」っていう方が大きかったですね。
軍人の描き方のバランスも絶妙でしたし、なんならヒーロー映画的な文脈でも楽しめたんで、大満足の一本でしたね。
「1980年の韓国で『ドイツ人記者』ってさぁ...。ここは東西分裂を話の内容に折り込めば完璧だったのに...」とか「やっぱり父娘の描きこみが足りてない...靴の話は回収しようよ!」とか「釈迦の誕生日、花祭りとか上手く入れてるとは思うけど、伏線にするならもう一つエピソード入れようよ。」とか、ちょっとしたディテールがもう少しずつブラッシュアップされていたら「新感染」級のマイベストに成り得たんですけど...。むちゃくちゃ面白かったですけど惜しいですねえ...。
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