せーじ

花筐/HANAGATAMIのせーじのレビュー・感想・評価

花筐/HANAGATAMI(2017年製作の映画)
4.7
有楽町スバル座で鑑賞。
中規模のシアターに、7割くらいの入り。
当然ながら好事家と思われる男性の中高年の方々がほとんどだったが、自分よりも若い観客もちらほらいた。

大林監督作品特有の奔放かつ難解な作品であるらしいことや、戦争をテーマに掲げた作品であること、そして、169分という長尺であることなどから、相当に構えて緊張しながら上映を待つこととなった。(ちなみに自分の大林作品体験は「水の旅人」以来となるので、およそ四半世紀ぶりということになってしまう)
確かにその通りで、案の定ぶっ飛ばされたわけだが、ストーリーの幹自体はしっかりとしており、音と映像のぶっ飛びっぷりも、最後にきちんと理屈が通るように成されていたので(いち個人の記憶≒心象風景と捉えたら腑に落ちました)個人的には、違和感を感じることなく物語に入り込むことができた。そもそも役者さん自身とその人が演じている登場人物との年齢差なんて、舞台だったら普通にあることだし。

そのことよりも自分が気になったのは、この作品で監督は、命を賭してまでどういうことを伝えたかったのだろうか…ということだった。一見、この物語の登場人物たちは、奔放に情を交わしながら自由に青春を謳歌しているように見えるが、うわべだけが自由に見えるだけで、実は誰もが迫りくるかもしれない死に向かって、自分の人生を仕舞おうとしていたのではないだろうか。病死したあの娘ですら、兵士たちと共に戦場で死ぬことを望みながら死んでいった訳で、主人公以外誰もかれもが自由に生き抜くことを放棄して、勝手に自分の人生を手仕舞いしているようにしか見えなかった。

もちろん、何が彼らをそうさせたのかは言うまでもないだろう。

この、誰もかれもがそうせずにはいられなくなってしまう"空気"そのものが最も危険で、その"空気"にからめとられて、自由に生きることをやめてしまうことこそ、最も避けなければならないことなのだ…と大林監督は言いたかったのではないだろうか。

だからこそ「跳ぶこと」の意味を最後に我々に問うたのだと思う。

人々を全体主義的な何かにからめとろうとしてくるものは、なにも戦争だけに限った話ではないだろう。テレビ、メディア、インターネットやSNS、そして映画…。この物語で描かれている時代よりも、むしろ現代の方が多く、しかも巧妙に隠されているのかもしれない。
そもそも自分の様に、斜に構えて天の邪鬼な態度をとっている奴ほど危ないのだと、この映画は警告しているように思えたので、頭が悪い自分はせめて"今立っている場所の理解"と、"あらゆる考え方を受けとめて咀嚼する柔軟さ"は無くさずにいようと思います。
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