日本に巨匠と呼ぶにふさわしい映画監督などとっくの昔にいなくなってしまったとばかり思っていた。
一見、小手先のマジックに見えてしまうフィルムの継ぎ接ぎと、青少年向けの気恥ずかしいストーリーと、アタリを手にするのに途方もなく時間が掛かりそうな多作さと、胡散臭い監督の語り口とが、世間の目を曇らせてしまい、これまでかなり軽んじられてきたと思う。
確かにワタシも「尾道三部作」以降はまともに付き合ってこなかった。"大林監督の描く世界はいずれ卒業するためにある"、そう感じていたし、またすぐに新作を撮るのだろう、と根拠のない安心感が、つい足を遠退かせていた。
心の炎はいつか潰える。
監督も身体や感覚の衰えには適うまい。
世の巨匠たちの晩年の作品を目にする度にその思いを強くするばかりだった。
その見識が間違いなのか、それともこの監督が特別なのか、いずれにしても『この空の花』『野のなななのか』そしてこの『花筐』がいずれ劣らぬ傑作であることに違いない。
他を憚らぬ、いかにも堂々とした人間讃歌。そして見るものの胸深くまで突き刺さる、密やかに研ぎ澄まされた反戦声明。なによりアグレッシブに訴えかける艶やかな色彩感覚。
こんなスゴイ監督を、なぜ今まで見過ごしていたのか、ワタシは自分を悔いた。
これは明らかにピーク時の"巨匠"の作品である。
病魔に侵されながらも"最新作が最高傑作"という状況にある大林監督は、おそらく勢いに乗って次回作を準備していることであろう。
ワタシは期待する、次の最高傑作を。
映画の神が見初めた監督なのだから、映画を撮ってさえいれば、神は絶対にその命を召し上げることなどないはずである。
よかった、ワタシはまだ間に合った。