教授

花筐/HANAGATAMIの教授のレビュー・感想・評価

花筐/HANAGATAMI(2017年製作の映画)
-
正直、こんなの一回観ただけで感想なんか言えるかい!という映画。
とにかく約3時間の上映時間に夥しい情報量の映像が炸裂する。
ただ、脈絡なくストーリーやエピソードが散らばっているのではなく、強調するところは過剰に強調する。大事なことなので3回言いました、みたいな感じとかこういうものはグルグル回って語ることだ、とか。

そもそもが言語で説明をするために表現している世界ではないので解釈はできるが、説明自体が非常に困難。というのと、説明すると実に陳腐な表現になってしまうジレンマ。

例えば描いているものは戦争なのだが、背景としては出てくるが直接の描写で出てこない。
ただ時代の空気というものがいかに若者を死に向かわせるかということをまさに映像言語的に、雄弁というよりも過剰に語ってくる、という印象。

そのため演出もひとつのテーマを語るための劇的演出というよりは、とにかくひとつの画面に対して執拗に膨大な情報量と、死に隣接するが故のエロスと芸術の接近具合に特化して描いている。

つまり空気として蔓延している「戦争」がジワジワと若者たちを死に至る病として蝕んでいく、若者たちは死を前提にした世界の中で芸術や恋、セックスを総動員で生を躍動させているということ。

恋も芸術も、死を前提にすると切実な生に直結するから貪欲だし、脇目もふらずに手当たり次第。
だからつまりこの映画に描かれているのは「乱行パーティ」なのである。
しかも直接的な乱行ではなくやはり映画的視覚的にイメージされた乱行パーティ。

肉体と精神の芸術を対置させる存在として鵜飼役の満島真之介のカリスマ性、肉体の表現力は壮絶。
若松孝二監督の「自決の日」では三島由紀夫に傾倒する森田必勝役だったが、まさに本作では三島由紀夫を彷彿とさせる拗らせマッチョ。
そして、対局に鎮座する太宰治的佇まいの吉良役の長塚圭史。
それぞれに肉体と精神を浪費しているのは「戦争に殺されるぐらいなら」という想いだ。

その中で適度に鈍感である意味で模倣的、傍観的に生き延びてしまう榊山役の窪塚俊介。
三島にも太宰にもなれなかったからこそ、現代に物語を語り継ぐ宿命を宿したのかもしれない。

常盤貴子も、矢作穂香も、門脇麦も、山崎紘菜も、死んでいく男とたちの中でとてつもなく悲しく寂しい青春を散らす。

1941年12月8日の開戦の時に。
物語においては戦争でみんな死んだ、という思い切りこそ、全てを物語で語り切ろうという大林宣彦監督の映画の力を信頼しきった演出にグッタリする。

こういう映画が単純に増えて欲しい。

前半混乱したけど、中盤からノリノリで観ていた。凄い作品だと思った。
でもね。正直に言えば、よくはわからなかった。
教授

教授