ラウぺ

女の一生のラウぺのレビュー・感想・評価

女の一生(2016年製作の映画)
3.5
ストーリーだけ見れば、なんとも救いのない負の連鎖ばかりを見続けることになります。19世紀の古典として考えると、じっと耐え続け、無償の愛情を子供に捧げる女性の生きざまを描いている、そこに受け身な女性のありようを一つの典型例として示している(=いた)といえなくもありません。
貴族の娘ということで世間に疎く、生活能力は女中の献身的な介助頼りで、なすすべもなく、家族の裏切りと没落の一途をたどる主人公は、家に籠って家庭を守る古典的女性像から一歩もはみ出ることはありません。
少々話が逸れますが、この話が決定的に古臭いのは、20世紀以降の我々がボーヴォワールのフェミニズムの波を経験し、女性の自立について何の疑いもなく受け入れる時代に生きている視点からしか見ることができない、という側面もあるからでしょう。「女の一生」こそ、ボーヴォワールのいうところのまさに「第二の性」であり、その生き方の対極といってよく、むしろこのような時代を前夜としていたからこそ、フェミニズムが生まれる温床となったともいえるのではないかという気がしました。

なので、「女の一生」はどうみても前時代的で、いささかカビ臭い展開に見えるのですが、この監督の前作は「ティエリー・トグルドーの憂鬱」という社会派のドラマで、失業した技術者が紆余曲折の末にスーパーの警備員として働くうちにさまざまな困難に直面する、という話。
如何ともしがたい現実の前に人のできることなどほんの僅かでしかなく、荒波に揉まれつつ、どのように溺れず生き抜いていくのか?という基本的テーマは本作と驚くほど酷似しているのです。
19世紀の没落貴族の女性と現代の中年失業者とでは境遇も時代背景も殆ど共通点はありませんが、困難に直面する人々というのはどの時代にも居て、周囲の協力や(必ずしも効果的とはいえない)本人の努力でも如何ともしがたい現実というものが存在する、という、ある種の普遍的困難の存在を低通するテーマとして見ることができる気がしました。

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」もそうでしたが、ストーリーの表層を追うというよりも、なにかイベントが起きるとその結果が自明な場合はその場面を直接描かず、その後の場面を繋げることでその間に起きたことを観客に想像させる、という場面がいくつもあります。ともすると退屈に進行しがちなストーリーに不思議なリズムが生まれて、長い話をスムーズに繋げていけるという効果があるように思いました。
そうすることで、話を文学的・ドラマ的ではなくドキュメンタリー的に描くことで、感傷を排し、置かれた境遇を少し離れたところから俯瞰することができるようになっています。冒頭の数分間を観ても、庭に野菜の苗を植えたり、家族でバックギャモンに興じる他愛もない生活の風景を淡々と見せて、しばらく物語がまったく進行しない、という不思議な演出がなされています。BGMも殆ど流れず、傍に寄り添うようにUP気味のカメラが人々の周りを行き来する映像が続きます。
そういう点でも、この作品が文豪の古典をそのまま映画化したのではなく、困難に直面する主人公のもがきを記録する、という側面を強調しているのだろうと思いました。
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」もまた同様な視点であったことを思い起こさせる作品でありました。
この2作品はセットで鑑賞するのがお勧めといえるかもしれません。