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判決、ふたつの希望のKUBOのレビュー・感想・評価

判決、ふたつの希望(2017年製作の映画)
3.8
何気ない罵声と暴力が、裁判沙汰になることで複雑な難民問題へと拡大していく。

7月4本目の試写会は「判決、ふたつの希望」。

レバノンに住む、右派のレバノン軍団党の党員で自動車修理工場を営むトニー。パレスチナ難民で配管工のヤーセル。2人は些細なことから対立。トニーがヤーセルに彼の民族を侮辱する言葉を浴びせ、ヤーセルは怒りのあまりトニーを殴る。

一見よくあるケンカのようだったが、場所を法廷に移すことで、問題は民族の対立に一気に拡大する。

「パレスチナ難民は罪を償って当たり前なんだ!」

イスラエルの建国に伴い故郷を追われたパレスチナ人は各国に散らばり難民となった。彼らはどこの国でもよそ者であり邪魔者だ。特にレバノンでの難民キャンプの環境は劣悪で過酷な生活を強いられている。

本作の中でも「パレスチナ難民は雇用してはいけない」とか、逆に「難民キャンプは治外法権で警察力が及ばない」とか、我々日本人には理解しがたい状況が出てくる。

トニーとヤーセルの対立にもこういった民族問題があり、この問題にある程度の知識がないと完全には理解しがたい。かくいう私も作品内での事象の理由がわからずにググってこのレヴューを書いているのが実のところだ。

裁判劇になってきたところで論点を民族問題にすり替えていく弁護士のやり口は、O.J.シンプソン裁判で論点を黒人差別にすり替えていった論法とも似ている。そう言った意味では「どこの国でも起こりえる」というコピーにもなるのだろうが、本作の扱う中東でのパレスチナ難民問題というのは他とは違うデリケートな問題でもあるだろう。

マスコミや政界まで巻き込んだ国民的関心事にまで拡大する中で、明かされる2人の過去がさらなるレバノンの悲劇の歴史を語る。ラストに待つ裁判劇を超えたヒューマンドラマが胸を打つ。

アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、ベネチア国際映画祭最優秀男優賞受賞作品。

(個人的に、宗教が発端であるエルサレム問題で多くの命が失われていることが理解できない。最近でもトランプがエルサレムに大使館を写したことでさらなる紛争を生み犠牲者を出したことも記憶に新しい。世界平和のための宗教がいつまでも紛争の種を生み続けるのでは、キリストも浮かばれまい)
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