ノイローゼ気味の男が犬を殺そうとするがある少女と出会い予想の付かない方向へと進む。そこから広がる人間模様が韓国の現実を炙り出しているようだ。
「犬」は何なのか?何の象徴か?
犬を殺そうとする者。
犬を食べようとする者。
犬を救おうとする者。
韓国は犬をどうしてしまったのか?
中産階級の集まる要塞のような団地の中で、昇って下りてを繰り返し、地下で犬を食う。地下に潜んで犬を食った男は何なのか?
天才ポン・ジュノ監督は最新作「パラサイト」と同じようなモチーフを驚くほど駆使して韓国社会の階級問題を描き切っている。
背景と小道具の使い方から天才の片鱗が見えている。高低差がある坂道でのトイレットペーパーから、壊れたバックミラー、等間隔に貼られた犬のポスター、鼻血のシミ、地下に入って背後が真っ暗になる電車。遠くから見える団地群。
全てに伏線が張り巡らされ、無意味なのかどうかも分からないまま回収されていく。
予想の付かない展開を反復し、何処にも似た話が存在しないオリジナルな物語が語られていく。まさに見たことない映画。
誰も裁かず、勧善懲悪の説教もない。
韓国の犬を殺した奴らをジュノ監督は裁きはしない。かといって救いもしない。本当の犠牲者は切り干し大根のお婆さんなのか?地下に潜んでいたホームレスなのか?妊娠してリストラされて夫に財産を渡した妻か?
何も説明しないまま、最後にぺ・ドゥナが可愛らしい笑顔で鏡に映った太陽を我々に向けてくる。
それは希望なのか?
それとも問いかけか?