カツマ

運命は踊るのカツマのレビュー・感想・評価

運命は踊る(2017年製作の映画)
3.8
運命は優雅にダンスを踊れない。小さな四角形におさまるFoxtrot、ステップは秒単位、そのダンスは一瞬だった。上方から物体を角形に捉えるカットはピエト・モンドリアンの絵画のように抽象化され、画面の象徴性を増幅していたように思う。そこにあるのは日常的な戦場、当たり前の悲劇。施されたアート感覚が、無機質にメランコリーを告げていた。

ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞したイスラエル映画であり、カメラワークや音楽の小技の効かせ方には映画=アートと捉える視点が大きな比重を占めていた。三部構成からなる物語がそれぞれにイスラエルが抱える闇をそこはかとなく暗示しており、もはや『運命』という言葉以外で慰める術を知らない。命を運ぶと書いて運命とはよく言ったものだった。

〜あらすじ〜

そして扉は開かれた。妻は失神し、軍人が何人か部屋に入ってくる。時が止まりそうな空間、ミハエルはその軍人たちから息子のヨナタンが戦争で命を落としたことを知らされる。妻はショックのあまり目を覚まさず、ベッドに寝かされたまま、ミハエルは事実を受け止めきれずに悲しみを押し殺す。
だが、その直後、再び軍人たちがやってきて、息子の死亡は誤報だったと伝えたのだ。それを聞き妻はショックから立ち直ったが、ミハエルは誤報を伝えた軍人たちの対応に怒りを爆発させ、ヨナタンを戦地から呼び戻すように恫喝する。彼の怒りは頂点に達し、軍人たちの言葉など耳にも入ってこなかった。
舞台は移り、ヨナタンは検問所で仲間たちとのんびりとした日々を過ごしていた。戦地は遠く、役割は通行者の検問のみ。淡々とした仕事にアクシデントなど起こるはずもなかったのだが・・。

〜見どころと感想〜

原題は『Foxtrot』。簡単なステップを踏みながら、四角形内に両脚をスライドさせ、元いた場所に戻るダンスの基本型のこと。この映画はそのダンスのように諸行無常を循環する。物語は三部のパートに分かれた構成になっていて、それぞれのパートで一度ずつ印象的なダンスが挿入されるが、それはエレガントで不可思議、どうしようもなく閉塞感を纏わせるイスラエルの闇そのもののようなダンスだった。

この映画の魅力の一つとしてサミュエル・マオズ監督が繰り出すトリッキーで超自然的なカット割りがあると思う。上方からのモンドリアンカット以外にも、水面からスライドさせて徐々に全体像を見せていくタルコフスキーのような幻想的な地滑りカット。そして、群像劇となるとカメラを固定して、そのシーンに釘付けにする趣向も巧みに光っていたと思う。正にセンスの塊のような映画。全く意味もなさそうなラクダの存在感たるや、終わってみたら空虚な衝撃が胸の上をドンドンと扉を叩くように打ち付けていた。

〜あとがき〜

国内外で圧倒的な評価を受けた今作は、サミュエル・マオズという才能を世界に知らしめた記念碑的な作品となりました。非常にアート的で、写真作品のようなカメラワークが印象的で、そのセンスの鋭敏さには脱帽せざるを得なかったですね。

Foxtrotという原題も象徴的で良いですが、『運命は踊る』という邦題も素晴らしかったと思います。正にそのタイトル通りの作品だから。イスラエルでは戦争はすぐそばにあるということを痛感させる静謐なる社会派映画としても機能していたと思いますね。
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