菩薩

マリア・ブラウンの結婚の菩薩のレビュー・感想・評価

マリア・ブラウンの結婚(1978年製作の映画)
4.3
恋は衝動、愛は目的、結婚は契約なのだとしたら、彼女にとってのSEXは手段でしか無いのだろうし、本当に欲しいものは生活だったのだろうと思われる。愛する夫は遠くに去り、そして死に、かと思いきや舞い戻り、そして離れ、再び去り、遂に彼女にとっての「2日目」が始まろうとする時、その生活には終止符が打たれる。身体は売れど魂は売らなかったマリア、一方ヘルマンは魂をいとも容易く金で売った、繋がっていると思い込んで糸は、最後に容易く途切れてしまう。自殺、もしくは事故、はっきり言ってどちらでも良い、これで二人は離れる事も無ければ、別れる事も出来ない、これは確固たるマリアの勝利、いや優勝である。真心ブラザーズ風に言えばどかーんと1発やってみよう!なのだろう、どかーんと始まり、どかーんと終わる、爽快ではないか。復興の象徴たる彼女の生き様、身なりも豪華さを取り戻し、性格も凶暴さを手に入れ豹変して行く。ヒトラーに始まり、アデナウアー(その他の宰相)で終わる、ヒトラーとアデナウアーに共通するキーワードは、おそらく「再軍備」であろう、では国民の熱狂の先には…何が待ち受けているのであろうか。
菩薩

菩薩