垂直落下式サミング

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

3.5
悪魔ピエロ逆襲の第二章。スティーブン・キングの原作小説は、主人公たちの子供時代の記憶と大人になった現代の戦いを交互に描いていて、最後の最後に怪物との決着に到るのだが、この映画版は二度の戦いを「過去」と「現代」の二部に分割している。
過去に何があったのか、先にぜんぶみせておくことで、時間を往来して真実にたどり着くミステリー要素は格段に飲み込みやすくなり、27年という月日は子供たちに何を与え何を奪ったのか、ノスタルジックな感傷に浸ることが可能。デブはマッチョイケメンになるが、悲しみを抱えながらもリーダーシップを発揮していた男の子は、ただ単に嫌味でムカつくやつになるし、どうにか幸せになっていてほしかった女の子は、父親とおなじようなDV男と結婚している。前作への思い入れが深いほど、人生の不条理に想いを馳せずにいられない内容だ。
でも、前後編に分けるんだったら、もうちょい短くならなかったのか。前半で一度は過去と向き合ってるんだから、人数分同じことを繰り返すのは、みていてかったるかった。
この時系列の改変は、よく言えば映像化にあたって難解さが整理されてみやすくなったとすることもできるが、悪く言えばバカにでもわかるよう単純化された安物ホラーってことでもある。
キングじじいの好きそうなことだ。映画ファン的には、スタンリー・キューブリック版の『シャイニング』がお気に召さなくて、めちゃくちゃな悪口いってた気難しい作家先生みたいなイメージのある人だけど、実はコイツの映像作品の評価基準は「オバケがちゃんと出てくるかどうか」しかないんじゃないか?と思う。モダンホラーの巨匠なのに、映画評論になると途端にIQが下がるの、なんか可愛い。
相変わらずペニー・ワイズ登場シーンは怖すぎて、イマジナリーお母さんの背中越しじゃないとみれない。大人になった主人公たちにフィジカル的な懸念はないため、町の子供たちが襲われるのを助けようと奔走するのが、中盤のスリリングな見せ場となる。応援席の下で女の子がやられるシーンと、マカヴォイが鏡張りの迷路で男の子を助けられなかったシーンは、ちょっと嫌すぎて直視できなかった。
あと、冒頭でドランがボコられる。前作は子供の世界のいじめだったが、今回は大人社会にあるヘイト。腕力に勝るものが仲間を引き連れて、ほんの気晴らしのために弱いものに因縁を吹っ掛けて踏みつけにする。
ここで要注目なのは住民の無関心さ。誰が死んでも誰が失踪しても、町の反応がほとんど描かれないこと。前作でも、子供がいじめられてるのを素通りしていく大人たちがいて、それがピエロと同じくらい不気味だった。
デリーの住民たちは、子供の頃にペニー・ワイズが活動をはじめる時期を経験してる。だから、みんな呪いが自分のまわりに来るのを避けようとして、無意識に悲しさを鈍らせているのだろう。子供が失踪していなくなっても、ただ落ち込むだけで、そこまで騒ぎたてない。
忘れること。やり過ごすこと。でしゃばらないこと。これが不条理な出来事をやり過ごす唯一の方法だと、僕らの本能には、そう刻まれている。そういう怖さを描くことにかけては、前作のほうがソリッドだったと思うが、この時系列でちゃんと決着つけてるから、二部作にした意味はあったと思う。