sanbon

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。のsanbonのレビュー・感想・評価

3.7
自らの"闇"と向き合っていたのは「ルーザーズ」だけではなかった。

度々言及しているが、ホラー映画に真に必要な要素は、実は"恐怖"などよりもテーマパークにあるような"アトラクション性"だと思っている。

何故なら、大多数が求めている"本質"は、それぞれに全く一緒のものであるからだ。

遊園地であれホラー映画であれ、求められるものはいわゆる"心拍数の上昇"であり、用いる"手段"は違えど与える"質"は"恐怖"や"興奮"という点において同じものであり、どちらともが"非日常的な緊張感"により起こる"ハラハラドキドキ"なのだから、それを画面越しに体験出来るホラー映画とは、言うなれば"簡易的な遊園地"のようなものなのだとも言えるのだ。

勿論、ホラー映画に対しては"真の恐怖"に期待する側面も大いにあるだろうが、やはり"心拍数の上昇"という点においては「怖い」と「驚き」は対の関係であり、絶対的に切り離す事は出来ないものである。

それは、ハリウッド制作のホラー映画に特に顕著であり、今作も例に漏れる事なくそういった仕上がりとなっていた。

しかも今回は、ホラーには珍しく"4DX2D"での上映が用意されているなど、興行自体が"アトラクション特化"とも言える今作の"ノリ"とも絶妙にマッチしており、"169分"という長尺を乗り切るのにも大いに効果を発揮していた。

また、今作で描かれる恐怖の存在とは"霊的"なそれとは違い、言わば"クリーチャー"のようなものである。

前作では「ペニーワイズ」とその他数匹だけだった異形のものが、今作ではバリエーションも数も圧倒的に増えて軽い"モンスターパニック"もののようにもなっており、デザインも怖いというよりはグロくて汚らしい"生理的嫌悪感"を誘う見た目である為、感覚としてはどちらかというと"ダークファンタジー"のようでもあった。

ともすれば、恐怖の演出も消えては現れを繰り返し、ジワジワと追い詰めらていくような"じっとりとした怖さ"ではなく、物理的に命の危険を感じるような"殺戮的な怖さ"であるから、4DXとの相性もそれに準ずるものとなっており、その点で言えば大満足の水準ではあったのだが、やはり今作は"内容的"にはどうしても評価は上がりにくい。

それは、"精神論"を扱った題材である為だ。

今作は、前作に引き続き自分の抱え込んだ闇や過去のトラウマと"決別"する事で、恐怖に打ち勝つ姿を描き出している。

そして、ペニーワイズの仕掛ける攻撃はそんな"弱い心"に付け入る"精神攻撃"なのだ。

しかし、内面に対する揺さぶりとは、裏を返せば"なんでもあり"という事であり、下手をすれば"ご都合主義"も簡単にまかり通ってしまう。

実際に作中でも、この攻撃は物理的な被害を及ぼしたけれど、あの攻撃は幻覚だった、もしくは恐怖に飲まれなかったから無事だったという展開が結構多く、法則性も一貫していないうえに攻略法も内面の話だから明確には描く事が出来ない。

そうなると、生かすも殺すも"さじ加減"一つという事になり、精神という"定型"を持たない題材はそもそもが"納得感"が得にくいと言うほかないのだ。

だから、どれだけ楽しくてもどれだけ3時間弱飽きずに観られても、"虚実"が定まらず"核心"があやふやにもなりがちな内容と言わざるを得ない為、高評価を付け辛いのは致し方のない事であり、特に今作はそう理解したうえで鑑賞した方がいいと思う。

そして今作で一番驚いたのは、原作者である「スティーヴン・キング」がカメオ出演している事だ。

何故驚いたかというと、あのスティーヴン・キングが「ビル」を通して"自虐"をしていたからだ。

本作の登場人物である27年後のビルは、プロの小説家兼脚本家になっており、周囲からは"オチがつまらない"というレッテルを貼られたキャラクターとして登場する。

かく言うスティーヴン本人も、数多くの出版物を世に送り出す中で、本国ではビルと同じ評価を受ける事も決して少なくはないらしく、今作での出演シーンでも、アンティークショップで自転車を買いに来たビルに対して、オチが気に食わないと言う理由からサインの申し出を拒否する店長役として登場している。

今作のビルが、もしスティーヴン自身を投影したキャラクターだとすれば、これは明らかに自分自身に対する"ディスリスペクト"であり、これにより過去と戦うルーザーズという媒体を通して、自分自身の葛藤や苦悩とも向き合おうとしているともとれる演出となっているのである。

そして、オチがつまらないと大々的に前振りして訪れる今作のラストは、言わば視聴者への"挑戦状"だろう。

それで言うと、僕個人としては今作のラストは断然"肯定派"である。

「lose」と言う言葉には「負ける」という意味と、もう一つ別の意味がある。

それは「失う」という意味だ。

そう、今作では「負け犬達」だった少年期を経て、ルーザーズという名前の持つ意味を"ある人物の死"を以て「失った者達」へと転じさせており、その転換を"これ以上失うものがなにもない者こそが真の強者"であるとして、ペニーワイズと対峙する為の恐怖に打ち勝つ方法にまで繋げてみせたのだ。

そして、戦いの果てにショーウィンドウに映る彼らの姿には、誰一人欠ける事のないかつてのルーザーズが映し出され、それにより本当の意味ではなにも失ってなどいない事の証明として見せたのは、非常に"感動的"であり"見事なオチ"であったと思う。

ただ、ペニーワイズとの決闘に関しては、先述した精神論が全面に押し出されたものとなっており、懸念していたご都合主義がまかり通る展開を迎えてしまう為、その点ではやはり肝心な部分では腑に落ちなかった感は否めないのが残念だった。

今作は、ホラーと呼ぶには"おどろおどろしさ"はどうしても欠いてしまっていたが、モンスターパニックとして、そして"青春譚"としては心に残る名作になっていたと思うので、恐怖演出に過剰な期待を持たなければ満足のいく作品として観る事が出来るだろう。
sanbon

sanbon