砂

聖なる泉の少女の砂のレビュー・感想・評価

聖なる泉の少女(2017年製作の映画)
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福岡アジアフィルムフェスティバル2019にて

端的に本作をあらわすなら寡黙で、極めて研ぎ澄まされた映像詩だ。
作中で現代の思想における三点は、科学・宗教・詩である…ということが語られるが、作中においてそれを踏まえて物語も構築される。

冒頭、固定カメラにより清流が白濁していく様が長回しで、様々な予感じみたカットから始まる。最後も固定カメラで終わるのだが、この手法はA・ズビャギンツェフが常用する手法であるので引用とも言える。

進歩を前提とした現代世界において、影が取り払われることで神秘が損なわれていることを葛藤と共に描く作品はけっこう多いが、本作が素晴らしいのは、その文法に則りながらも儀式の様が本当に厳かで神秘的に描けているということにある。
それを可能にしているのは、カットごとに感嘆を受けるような美しい構図・明暗・色彩の映像と、過剰さの一切をそぎおとしたような寡黙な音の使い方にあるのだろう。

環境破壊による害を重要なキーワードとして盛り込みながらもそこに監督の思想を強く反映させた、というよりは変化のメタファーとして、押し付けがましさを感じない程度に抑えられている。魚=ナーメ、でもあろうし、シンプルな構成ではあるけれど考えてみると多層的で、かつジョージアの問題に留まらない普遍性がある。

繰り返しになるが映画のジャケットに象徴されるように、とにかく美しく詩的な映像が印象深い。これははっきりいって私の好みのドツボであり、「こんな写真撮りたいなぁ…」と思うようなカットが非常に多かった。

ジョージア映画はどうしてか、かなり好みに合う作品が多く、この監督も今後がたのしみである。
砂