ニューランド

レット・ザ・サンシャイン・インのニューランドのレビュー・感想・評価

4.2
クレール・ドゥニは、どちらかというと苦手な映画作家である。公開作の『パリ~』『~ボニ』も1年後位にVHSで観たし、『ショコラ』『~仕事』『ホワイト~』『イントゥ~』らの自主上映も現代のTOPのひとりとして、結構しつっこく上映されてる中でひっかかったものだ。アフリカ(あるいは欧州)の中の白人・現地人の居心地や、妙な執着にとりてかれた人間を、好んで角があるように取り上げ、自らのルーツに忠実な濃さなのだろうが、淡白系としてはちと辛い。しかし、作品は大抵どれも見事な腕力・捌きに感心はする。が、なにかいろいろひっかかってもっとすっきり描けないものかと思うことも多い。柔順さを求める女性監督への差別的要求なのだろうか。しかし、それより少し遡り20数年前から観始めたC・ビグロー等は無条件に好きで、右翼的な『ハート~』ですらそうなのだから、どこか煮え切らない、暴力的官能性・反骨性や社会を俎の知的操作への、男女個性云々ではない本質的未消化があるのかもしれない。
そんな中、東京映画祭の観るものがない空き時間に席も開いてて、たまたま観た本作は多分に嫌らしい性格のキャラクターばかりとはいえ、女性モノの恋愛重視?の立ち位置、小さなコヤ向きの伝統的西洋演劇の人動きと会話のやりとり・出し入れ繰返しの齟齬の味わい・逆説的鮮やかさに、立ち戻ったようなはみ出ないスマートさが妙に心地よく、これまでの反動というのでなく無条件に惚れたのだった、係ってる本命のSF大作が難航してる合間にその出演俳優達を使って作った文字通りの小品と聞かされても。外に形として現れないだけで、人の内面に向け、充分に破壊的でもある。あえて力瘤をかくしてるが、本作の風格と複雑さ併せ持つ信じがたいカメラ移動、どんでんや(ナメたり単体の)切り返し・直角変や寄り引き・真俯瞰・内外・トゥショット・詰める角度変の着実に時折思わぬ顔のCU長めやドアのノブに延びかける手等・去るを迷う体の繰返しがはいる、タッチは小さめの映画の世界でより大きな所を狙うに叶っている。
とにかく、逢引き?中のふたりの手練手管や真意が見え隠れが引き合ってはズレ、本人単体も今?いや永遠に別れるべきかの間で逡巡する中で理性を内の感情が突き破る、一旦別れる時のモタモタや延長の流れがリアル・出色、演劇的登場・退出が実に豊か・様々バリエーションでしっくりと出てくる。愚かな自己本位の連中の相手を無理に理想化し・また一気に貶めてく性向がからんでいる。だが、よって一回の逢瀬の齟齬は、それを引き延ばし、次回を呼び再現させ、同じ相手が繰返し現れる。しかし、終盤になると、新手が齟齬の度合い減って、どんどん別の新手を呼んでくる。よしんば、彼が現れずとも、別の存在が主体を喪失しようとしているヒロインの力を上回り、決定・示唆を与える主体として画面を埋めてゆく括りになったろう、しかし、表現としては、実際は自分もコントロールできないこの占い師だけが画面をメインに占められるラストとなっている(この名優同士間の比重の引渡しは、少し前の安藤サクラー津川雅彦を思い出させるスッキリ鮮やかに世界を反転させたものだ)。
2019.03.10記
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