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ムーンライト下落合のzer0ne0のレビュー・感想・評価

ムーンライト下落合(2017年製作の映画)
5.0
「面白い。でも何が面白いのか『わからない』……。」
と、ベテラン俳優、監督でさえもが思いつつも、その「わからなさの面白さ」を映し出した作品。
元は、劇団東京乾電池の戯曲で、4つ連なる短編のうちの一つだったらしい(戯曲時のタイトルは「3」)。
この戯曲を観た柄本監督は、「よくわからないけど後ろに何か大きなものを感じた」、これは映画にできる(挑戦したい)と感じたらしい。その後、「大事な相談がある」と加瀬亮と宇野祥平をカフェに呼び出し脚本を見せ、その時の反応が、「面白い、でもわからない、これを映画にするのか??」だったらしく、脚本をその場でまた読み返すほどだったらしい。

たしかに、「わからない」映画だった。
あらすじは、ある夜更けの二人の男の会話劇という情報のみで、夜中の静かな環境音、何か意味ありげなカットも相まって、一体これから何が起こるのか?という緊迫感を持って鑑賞した。
が、何も起こらない…?いつ何が起こるのか?重大なことが?まだか?…でも何も起きない。いや、起きた。いま起きてるんだけれど、なんの変哲もない、これは何なのだ?いや、これは変哲な事態に遭遇してるんじゃないか、ん?これはデジャヴ?わからない、だけど、何かこれ、わかる、気がする…様な気がする。この面白さ、わかる。何か、このわからなさと、わかる様な気がする感じが心地いい。この二人、この部屋、この距離感、この時間、なんかいいな、と感じ始める。からの、壮大な下落合ムーンライトなラスト。

何て言うか、個人的に、この作品から、ものすごく、「自由」を感じた。いろいろな意味で。この作品の存在、ペガサス、植木鉢、夜更けの時間、起きてる(もう若者じゃない)二人の男、が、変哲もない話をしている、夜更けに、柿の種、調子の悪いテレビを点けるための奮闘、急な感情の発露、急な月明かりのラテンミュージック。あのラストシーンには解放感すら感じた。「自由」が生まれた瞬間だと思った。
なんなんだ、何かよくわからないけどすごい面白い!なんなんだ、この作品は、この面白さは!
自分にとってそれは、この自由さだと思った。何にも束縛されない自由がそこにあるんだ、と思った。
ちょうど内面的な問題を抱える自分にとって、この自由さはとても、とても救いになった。
この自由さは、現実逃避的なものではなくて、かつてそこにあったもので、今もそこにあるんだと思わせてくた。
感想は人それぞれで、監督の考えがどうであれ、自分はたしかに「わからなさの自由さ」を受けとった。
意味不明なわからなさではない。気味の悪さを伴うわからなさでもない。
混沌さを孕むわからなさでもない。
意味不明がびっしりの世の中だが、この「わからない」映画は、ときに面白く、ときに共感でき、ときにやさしく寄り添ってくれる気がする。
きっと繰り返し見ても、「わからない」面白さがあるだろう。
その点、(加瀬亮つながりだが)ホン・サンスの『自由が丘で』の様な、何度観ても新しい発見、感想のある、「自由」な映画だと思う。ホン作品は「時間」を巧く使っていたけど、本作もどこから再生しても面白い映画だとも感じた(そう考えると、30分は繰り返し見やすい時間だが、もう少し尺が物欲しくもある)。チラシの文字が、パッと見たときに韓国語風に見え、それも加瀬亮つながりで、ホン作品を想像した。

まとめると、中毒性の高い、クセのある、わからない、でもわかる気がする映画だった。
世の中には、「わからない」を拒まなければ、面白さを感じれる事もある。わかろうとしない者にはずっとわからないだろう。逆に、わかりやすいものは真実だろうか。簡単にわかるものに救いは生じるだろうか。
この映画は、初鑑賞での、「わかる物語」での面白さ、インパクトよりも、2回目以降での発見や異なる感想、「あのシーンがまた観たい!」という中毒性やクセに醍醐味がある。

何より、こんな映画(褒め言葉)を映画館で観たというのが、とても贅沢で、とても面白い。
窓辺から月を眺め余韻にひたりながら感想を文章化してみた。(柿ピー食いながら)
忙しくてもまた観に行こう(DVD化してほしい)。こういう出会いがあるからやめられない。
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