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予兆 散歩する侵略者 劇場版のmのレビュー・感想・評価

4.8
黒沢清監督自身の手による「散歩する侵略者」(以下 本篇)のスピンオフ作品(といっても尺が140分あるのでもはや本篇を食う勢い)。WOWOWで放送された連続ドラマを一本にまとめた物だが、実際観てみると完全に『映画』でしかない。
本篇がポジなら「予兆」(以下 今作)はネガ。不穏ながら辿り着く所は前向きな愛と平和のSF冒険活劇だった本篇に対して、今作は「SF/ボディ・スナッチャー」ばりのSFサスペンス・スリラーだった。黒沢清監督×高橋洋脚本の「蛇の道」最凶コンビなので、作品の肌触りはよりホラー調で、人間のダークな部分に目を向ける。

本篇では文字通り愛が人類を救うが、今作では愛は人類を救わず、あくまで愛は個人単位の身勝手な感情でしかない。しかしそんな等身大でちっとも崇高ではない愛の描き方には個人的に好感を抱いた。
そんなもんだろう、という諦念と、それでもそれがあるだけまだなんとか生きていけるじゃない、というほんの少しの希望のようなもの。

普通に夫を愛していて普通に世界平和や他人よりも自分達の事を選ぶ、ごくごく普通だけど特別な主人公・夏帆の人物造形と演技が素晴らしい。夏帆が主演女優としてさり気なくしっかりと映画全体の軸となっていて、ここまで優れた女優だったとはと感嘆した。

黒沢清節は本篇以上に全開で、光と陰と役者の動線とカメラワークが複雑に連動するショットの魔法、風とカーテンの妖しい揺らぎも健在。黒沢節を140分たっぷり観ていられるだけで何と幸せな事か。

黒沢組なのでいつも通り俳優陣は皆素晴らしいが中でも監督の愛が一身に注がれているのが、わざわざ本篇とは違う役で登場する東出昌大。彼の登場シーンの前振りはスピルバーグ好きの黒沢監督らしく「ジュラシック・パーク」のTREX登場ばりの煽り方で(この辺は高橋洋テイストも垣間見える)、もはや人外の扱い。
「クリーピー」で黒沢ワールドとの相性の良さを見せた東出君、本篇では短い出番だったが今作では出番も多く、爆笑と戦慄が入り混じる凄まじい怪演を全編で炸裂させている。もはや東出君ムービーと言っても良いくらいに彼のこの映画への支配力は強い。今後とも是非黒沢組で暴れてほしい。

本篇から役柄を変えて引き続き出演している役者は東出君の他にもう1人いて、それが隠れた鬼才・城定秀夫監督作品によく出演している吉岡睦雄。本篇でもワンポイントながら甲高い奇声を活かして強烈な印象を残していたが、今作では少し出番が増えてまたしてもインパクトを残していく。

本篇の笹野さんポジションになる大杉漣は久々の黒沢組でファンとしては愉しく、初参加となった渡辺真起子の美味しい登場の仕方は思わず爆笑。

高橋洋&黒沢清による脚本で良かったのは『ガイド』となった染谷将太が実にしょうもなく人間臭い行動を取る事で、この人間臭さも本篇と好対照になっている。そんな駄目な男を演じる染谷君の演技も素晴らしい。彼だけでなく脇役達の行動もまた何とも人間臭い。
本篇では特に具体的な特徴の無かった『ガイド』になった人間に、右手の痺れ・痛みという身体的な変化(罪悪感の具現化)の設定を足しているのも効果的。

本篇では『概念』を抜かれた人間はむしろ幸せそうに見えたが、今作では『概念』を抜かれた人間は根本から崩壊する。同じ設定から導き出された真逆の結論はどちらも正しい。
この崩壊を序盤で見事に体現した岸井ゆきのが印象的(彼女もまた本篇の前田敦子と好対照をなしている)。前田と同じく言わばトップバッターの役割を立派に勤めていた。


冒頭シーンのモノローグや節々に「回路」の気配が漂っているのが個人的には何とも嬉しかった。
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