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2036:ネクサス・ドーンのtjZeroのレビュー・感想・評価

2036:ネクサス・ドーン(2017年製作の映画)
3.6
まだまだ、『ブレラン』とその続編について言いたいことがあるので、この『2049』の前日譚である短編アニメのスペースを借りて、書き散らかしたいと思います。

このシリーズを「ヴィジュアルだけのオサレ映画」とディスる意見を聞くたびに、「ちがう~!」と叫びたくなります。それこそ、両作のオサレな部分しか観てないのではないか。

このシリーズは、凝ったヴィジュアルだからこそ際立つ、主人公たちの孤独や情けなさが強烈に描かれているのが魅力なのです。

『ブレラン』のデッカードは、捜査官としての腕は確かですが、さびしい男です。特に趣味も生きがいも無く、酒に慰めを求めてます。
レプリカントが相手とはいえ、丸腰の女容疑者を背中から狙撃する卑劣漢でもあります。
クライマックスのビルの屋上で、敵のレプリから命を救われ、雨の中で内股でへたり込む情けない姿。
そんなみじめな男にやっと出来た最愛のパートナーが、寿命4年の人造人間っていうんですから、哀しすぎます。

『2049』のKはもっとつらい立場。
自身がレプリカントでありながら、レプリを狩らねばなりません。
周りの住民からは、「出来損ない!」と差別されてしまいます。
恋人はもはやロボットですらなく、ヴァーチャルな3Dキャラクターです。
演じるライアン・ゴズリングの無表情がすばらしい。
デッカードのハリソン・フォードは、不器用な役者ゆえの無表情、という面もありましたが、こちらのゴズリングは役柄にばっちりハマった能面。
さぞかしつらい日常を送ってるんだろう…と観る側に共感させるからこそ、彼の唯一の希望が打ち砕かれた時のあの絶叫が胸に迫ります。

Kの孤独や絶望はさらに凄みを増しているのですが、『2049』は『ブレラン』よりも未來への希望を感じさせるテイストを持っています。

それは、両作のモチーフの違いにあるのかもしれません。

『ブレラン』は、”眼”や”見ること”が主要なモチーフでした。
それは、主人公デッカードの(ハードボイルドの私立探偵のような)傍観者的立場とも一致します。
過酷な状況を、第三者的な立ち位置で、冷笑的に客観的に見つめるしかない主人公…その姿が1作目のクールでハードボイルドな持ち味につながっていました。

『2049』は、”水”が印象的です。
前作以上に大量に降る雨や雪。レプリカントが誕生する際の、羊水のようなドロドロとした液体。クライマックスでKがデッカードを救うために敵のレプリと激闘する暗渠の洪水。水のモチーフがたっぷりです。
これにより、本作の主人公はより能動的に、もがき苦しみ、状況の中を泳ぎ回っている…という印象が強くなります。
また、水は生命の誕生をイメージさせるので、明るい希望を感じさせもします。
だからこそ、この続編は前作よりも光を感じられるのでしょう。

1作目は、過酷な状況の中で主人公たちが押しつぶされそうになっている。
2作目は、困難が増しながらも、人造人間の主人公が人間的な感情を獲得していき、未来に希望を感じさせる終幕を迎える。
…この2作の関係って、『ターミネーター』の1&2に近いな~とも思いました。両シリーズを改めて観比べてみるのも大変興味深いんじゃないでしょうか。
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