タマル

夜の大捜査線のタマルのレビュー・感想・評価

夜の大捜査線(1967年製作の映画)
3.7
監督ノーマン・ジュイソンは原作の前に脚本を読み、脚本家スターリング・シリファントにこう言った。

「今まで読んだ中でも最高の脚本だ。 一句たりとも変更すべきでない。」

スターリングはいたく感動したが、実際は半年経っても監督の脚本手直しが終わらなかったという。


以下、レビュー。


この映画が上映された当時(1967)のアメリカは公民権運動の真っ最中であり、各地で暴動、都市部では焼き打ちが行われるような混乱した情勢であった。一方、南部での差別も未だ根強く、特に本作の舞台となったミシシッピでは実際に本作の撮影許可がおりないほどだった。そのため、本作はミシシッピの北にあるイリノイ州でロケ撮影されている。

本作のジャンルはミステリー映画である。もちろん、本質には黒人スターを使って人種問題を描き出すというセンセーショナルなテーマがあり、映画の核としてそこを指摘することはやぶさかではないが、あくまでこの映画はミステリー映画なのである。それは作り手たちがただ単に問題意識のみを映し出すのではなく、娯楽的価値の保持、つまり観客に寄りそおうとする姿勢の表明である。同時に、ミステリーというスタイルにこだわることによって、人種問題によって引き起こされる種々のトラブルが、滑らかなストーリーテリングを困難にさせ、ジャンル映画の成立を困難にさせる様を確認させているのだ。

死体検分のシーンでは、死体を隔てて前後にバージルと署長が立ち、同一ショットに収まることはない。ここはこの黒人と関わらずに自分の領域を守ろうとする署長のスタンスが構図によって示されている。逆にバージルに協力を求める駅のシーンでは、ルーズなショットから始まり、常に署長とバージルは同一ショットに収まっている。ここには上述部分とのあらゆる対比が詰まっており、よく練りこまれているなと感心した。
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