円柱野郎

カメラを止めるな!の円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

カメラを止めるな!(2017年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

どこかの廃墟で撮影中の低予算ゾンビ映画。
ホンモノの画が欲しい監督はいまいちな演技の女優に我慢がならない。
しかし突如本物のゾンビが襲来し、女優は命からがら逃げまわり、監督は嬉々としてその映像を撮り続けるが…。

という冒頭37分の短編映画から始まる作品だが、それが劇中劇であるという事も知らずに観るのが良いだろう。
そう、それ自体が作品が見せる「映画という虚構の面白さ」の仕掛けになっていると思う。
鑑賞前に観客が知っておいていいことは、“低予算映画”と“ゾンビ映画”という2つくらいかな。

冒頭は、いかにもインディーズ映画的な手作り感のするゾンビ映画。
それでも37分をワンカットでやるという気合の入り様は、そういった規模の短編作品として観てもよく出来ている。(そこがミソ。)
ありがちな展開ではあるものの、狂気な監督と護身術に長けたメイクという突拍子のないキャラクターがいい味を出していたね。
ただそんな中、時々変な間や急なカメラ目線があったり、「こんなところに斧が…」なんてご都合主義とか端々に違和感も残るわけだが…。
「まあインディーズ映画だし」とか「ワンカット映画として挑戦してるんだしこれくらい」といった感覚で流してしまう。
しかし、それが全部後半への伏線だったとは…やられたw

上映開始から37分が過ぎたころ、「あれ、もう終わり?」というエンドクレジットが流れて観客はそこまでのゾンビ映画が劇中劇だったことに気づく。
そしてそこからがこの映画の本題なわけだ。

違和感に対するネタ晴らし。
「じつはあの場面、カメラの外ではこんなことがあったんですよ」という舞台裏コメディとでも言うべきか。
これが素晴らしく面白い。
舞台裏コメディですぐに思いつくのは「ラヂオの時間」かな。
終盤のバタバタ劇はまさにそれと同じコメディっぷりだったけれど、この作品が一味違うのは、「映画」というものが虚構の表現型だという事を自覚して、それ自体を作品構造に取り入れているところだろう。

ゾンビ映画とは「虚構」の最たるもので、非日常が日常を侵食するというウソを描いているし、観客との間にはそのウソを本物だと思いながら楽しむという無意識のルールが成立している。
そして「ゾンビ映画というウソを撮影している撮影隊が本物のゾンビに襲われる」というウソの物語が冒頭の短編映画。
さらにそれを撮るためのドタバタ劇こそがこの映画の真の姿だっていうのだから、実はこの作品は3つの入れ子になっている。

本当のことを言えば後半のドタバタ劇自体も映画というウソではあるわけだが、それは劇中劇を撮るためのリアルというところが面白い。
つまりそれは「映画作り」そのものに対するオマージュでもあり、ウソをリアルにする映画そのものへのオマージュでもある。
映画という虚構にオマージュをささげている作品と言えば「蒲田行進曲」や「地獄でなぜ悪い」か。
内容は全く違うけれど、映画に対する愛のベクトルは変わるまい。
それが伝わってくるから、この映画は面白いわけだ。

前半の違和感に対するネタ晴らし、上手かったし面白かったなあ。
劇中劇でいきなりズームアウトを多用し始めたあたりとか、理由を知って爆笑してしまったw
いやもっと面白い場面が山ほどあるんだけど、「お前演技じゃなかったんかい!」とか何度画面にツッコんだか分からないわ。
冒頭の短編映画という伏線と、終盤の怒涛の伏線回収。
作り手が、観客はちゃんとそれを分かってくれると信じて作品を作っているのも伝わってくる。
実際に観客はちゃんと受け取っているよね、終盤の劇場内は笑い声で包まれていたんだもの。

映画が終わり明るくなるころには、満席の劇場内から自然発生的に拍手も起きた。
試写会でもなんでもなく、普通の平日の普通の映画館でだ。
こんな一体感を味わえるとは、映画って面白いよ、ほんと。
円柱野郎

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