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カメラを止めるな!のSIのレビュー・感想・評価

カメラを止めるな!(2017年製作の映画)
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2018.8.20
TOHOシネマズ六本木にて鑑賞

掛け値無しに面白い。

何が面白いのか、前半と後半にわけて冷静になって考えてみる。(ネタバレ注意)

① 前半の38分のワンカットモキュメンタリー
同じく超低予算で大ヒットを飛ばした『ブレアウィッチプロジェクト』(1999)と全く同じ発想だが、そこに2つの要素が加味されている。
第一はワンカットというアイディア。
(流石に途中でシームレスにカットを繋いでいると思われるが)これをワンカットでやろうという努力がまず凄い。
第二には、実はこちらの方が遥かに面白さに貢献していると思う。それは、これが「(映画という)フィクションのなかのリアル」なのか、「フィクションのなかのフィクション」なのかという事を常に観客に考えさせることだ。
突然「ちょっと…ちょっと!」と言いながら必死に外に出ようとする録音マンや、「おい台本と違うだろ!」とヒロインに叫ぶ監督は、「やはりこれはリアルなのだ」と感じさせるが、
何故か視認されないカメラマン、ヒロインの剥がれる傷跡、何故か見つかる斧、あまりに冗長な彼氏殺しなどは「やはりこれはフィクションなのだ」と観客に思い直させる。
そしてもっと根本的なことに、「そもそもこれは映画なのであって、この映画内でフィクションだろうがリアルだろうが、大前提として全てフィクションなのだ」という当然の事実に思い当たる観客もいるだろう。
この現実感と虚構感の狭間で揺れ動く映像体験が新鮮で面白い。

② ①を全く別視点から眺める後半パート
前半の劇中劇の背景を描く事が後半パートにあたるという、この二段構えの設定、良く練られている。
前半において若干の違和感を与えた幾つもの要素には全て理由があったという、大量の伏線が明かされていく爽快感。
そして大事な事に、その伏線が全て笑いに繋がるというカタルシス。この笑いという異色さが今作に絶対的価値を与えている。
ゾンビものにおいては恐怖を克服する最後のパートは何よりも重要なのだが、今作では前半で観客それぞれが感じた恐怖を、前半の映像を全く違う視点から眺めることで克服どころか笑い飛ばせるという圧倒的カタルシスを実現している。これが何より新鮮である。
通常のホラー映画ではこのカタルシスは最後の5分程度しか観客は得られないのだが、今作ではその尺比を大幅に変更し観客は後半にずっと爽快感を感じる事が出来るのだ。

③作品全体を貫く、映画そのものへの愛という主題
今作が通常のホラー映画の枠を超えているのは、そこにどんな大作映画も描く事のできない、映画の現状への反発があることだ。
製作費が200~300万というインディペンデント映画であるからこそ描ける主題をこの映画は誠実に描いた。
現場を何も知らないプロデューサーや温室育ちの大根役者の、"映画"をナめた姿勢。そしてそれを甘んじて受け入れるしかない貧乏監督。美しくなく扱いづらいという理由で起用されない本格派俳優。そして何より、この現状を打破できない日本の映画業界。
今作はこれら全てを批判する。観客はこの問題意識に確かに同調できるが、「でも君たちも口だけじゃないの?」という当然の疑惑を振り払えない。しかし、今作の完成度の高さに感動していくなかで観客はこの疑惑を徐々に氷解させ、遂には素晴らしい作品をつくり今の映画界にカウンターをかませたというその爽快感を共有するのだ。
そう、この時観客は映画の登場人物だけでなく映画の制作陣に感情移入してしまっている。ここに二重のカタルシスがある。
そしてこのメタ的な感情移入のしやすさには、①で観客に与えたあの現実感と虚構感の交錯も一役買っている事は触れなければいけないだろう。
恐ろしい映画である。

以上をまとめると、
・現実感と虚構感を揺れ動く不可思議な映像体験
・前半に感じた恐怖を克服どころか笑い飛ばし続けられるという圧倒的カタルシス
・製作陣に感情移入する事で得られるメタ的なカタルシス
が今作の特徴と言えるだろう。

単純な「ワンカット」や「ゾンビ×コメディ」といったフレーズでは表しきれない魅力が、そこにはあるように思う。
長文失礼しました。
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