みかんぼうや

ファントム・スレッドのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

ファントム・スレッド(2017年製作の映画)
3.8
【エゴとエゴの間に生まれる隔たりの前には、理解し分かち合おうとする常識的な対話などもはや無意味なものなのか】

先日の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(以下TWBB)」でポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)作品の素晴らしさを再認識し、新しめの作品を抑えておこうと前から気になっていた本作を視聴。なるほど、TWBBとストーリーの背景や舞台は全く違えど、しっかりと多くの共通点が見られる。そして、こちらも非常に面白い作品だった。

共通点として、ジョニー・グリーンウッドが創る繊細で美しくもありながら、どこか不安定な空気感を醸し出す音楽、PTAの拘りぬいた画作りは言うまでもないが、主役の男女レイノルズとアルマのエゴのぶつかり合いの構図が、どこかTWBBのダニエル(石油王)とイーライ(神父)のエゴのぶつかり合いを彷彿とさせるのだ。

ビジネスにおける利益を最優先した徹底した利己主義により自らの信念と力のみを信じ続けるダニエルと本作の孤高の仕立て屋として自分の作品(ドレス)への徹底した拘りゆえに愛情という感情すら捨て己の信条と技術に全てを賭けるレイノルズ。神という後ろ盾のものと“頼られること”で自らの承認欲求を満たし自身の存在意義を確かめるTWBBの神父イーライと女として“愛される”ことで自己の欲求を満たそうとあらゆる手段を試みその果てに常軌を逸した行動にまで踏み込んでしまうエルマ。

PTAが表現したものは、自らの目的を達成するためならば周囲を顧みない利己主義的なエゴと、そんな人間に認められ頼られることで自己愛を満たそうとするエゴという、相容れることのない2つのエゴのぶつかり合いであり、その隔たりは対話と相互理解という綺麗事では決して埋めることができないのだという、人間社会におけるあらゆる摩擦に対する極めて悲観的かつ冷ややかな彼自身の視点と思想であったと思える。

結果として、少なくとも本作においては、そのエゴの壁は、先日の「ミセス・ノイズィ」のレビューで記載したような、対話を通じて分かり合うなどという常識的かつ平和的な方法で解決するはずもなく、それを完全に超越した毒を持って埋めようとするほかならなかった、というあたりに、PTA作品に内包された狂気性を感じずにはいられない。

石油採掘現場のダイナミックな画力や爆発などの迫力で描かれたTWBBに対して、本作はオートクチュールのドレスをはじめとした美しく繊細な世界。TWBBのエネルギーに溢れる狂気に対して、本作は繊細さの中にある冷ややかな狂気。後半の食卓シーン。あれほどに冷ややかな狂気性を感じた食事シーンはこれまでに観たことがない。

題材からも作品としての熱量はTWBBに軍配があがり、私はそのエネルギーに満ちた狂気性により興奮を覚えるものの、人によっては(特に題材からも女性の方は)、本作のほうがより好みという方も多いかもしれない。明らかに言えることはどちらも私にとっては大変秀作であり、PTAという監督の作風が大好きであることが確信に変わる作品だったということ。

最後に主演のダニエル・デイ・ルイス。本作が彼の引退作となっているが、上記で比較したTWBBのダニエルと本作のレイノルズの両方を演じている。風貌もキャラも喋り方も全く異なるこの2人の人格を本当に同一人物が演じているのか、と疑うほどの名演技で視聴者を釘付けにする。現時点でアカデミー賞主演男優賞を3回受賞した唯一の俳優というのも納得。本作を通じてPTA作品の更なる開拓を進めたいと思うとともに、「リンカーン」をはじめとしたダニエル・デイ・ルイスの主演作品をもっとたくさん観てみたいと思った。

洗練された画作り、美しくも不穏な音楽、俳優陣たちの名演技、深みのあるストーリーと、非常に濃厚な映画時間だった。
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