kyo

ファントム・スレッドのkyoのネタバレレビュー・内容・結末

ファントム・スレッド(2017年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

流れるようにさまざまなことが起こり、流れは「流れ」である限りとまらない。ぼくの愛する映画に『ラヴ・ストリームス』というタイトルの(またべつの意味での)愛の映画があるが、PTA監督の最新作は、流れてはいるものの「愛」ではないな、とおもった。

劇中に「来世」ということばが出現する。『ザ・マスター』の「流れ」がふっとよぎり、愛ではなく、因果がこちらに迫ってくる。ガーデンプレイスのスタバでコーヒーを飲んでいるときに「ふっと降りてきた」ことば、「愛は因果を呼び、因果は愛を呼ぶ」という一文をスマホのメモにしたためた。PTA監督はしばしば、映画のなかに燃える因果の匂いを振りまく。

音楽が鳴りすぎだな、とおもったの。きょうちゃんはどう感じた? いっしょに鑑賞した梢ちゃんがいった。そうだな、鳴りすぎだな、とおもったよ。鳴らせすぎではなく、鳴りすぎだったかもね。ぼくはこたえた。「じゃあ、いまいちだった?」ときかれ、いや、傑作だとおもう。そう返すと、わたしはあんまりすきじゃなかったな、と彼女は苦笑いし、なんていうか「傑作だけど、はいってこなかった」そんな感じ、といった。

映画と一体化できなかった、と彼女はいう。帰る場所がある、それが愛なの、と。けど、めぐることを描いていたんだよね。きょうちゃんのいう因果ってやつよ。ほら、あの亡霊みたいな、幻視みたいなシーンあったでしょ。あれもふくめて、なんというか、究極の愛というより、恋人たちの冒険って感じがしちゃった。

「冒険?」ぼくはいった。「それはつまり、こころの冒険ってこと?」「そう!」

でもさ、そういうのをぜんぶひっくるめて「愛」と呼ぶのなら、やっぱりこれは愛なんだとおもうよ。そう伝えたら、すぐさま「きょうちゃんさっき、愛ではないとおもった、っていってたじゃん!」といわれてしまった(ひゃー、そうだった~)。

それから〈『ファントム・スレッド』=「幻の糸」〉という意味である、と彼女は教えてくれた。『マグノリア』の感想でぼくが「糸」ということばを使っていた、ということも。さらに『ザ・マスター』も「糸だったよね」といい、ぼくも、そういえばそうだったな、となんとなく気づく。「愛、究極の愛、かぁ……」彼女がつぶやく。「愛というか、愛の暴力なのよね、これは」

ああ、それって『パンチドランク・ラブ』だな、と一瞬そうおもったけど、なんとなくだまっていた。本作『ファントム・スレッド』はうつくしい映画である、と同時に、まちがいだらけの愛である。ぼくもまた「そんなふうに」おもっている。けれど、映画におぼれ、映画に酔っぱらう、というこんな感覚はひさしぶりのことで、やはりぼくは「傑作である」と、そう信じている。