銀幕短評 (#200)
「ファントム・スレッド」
2017年、アメリカ。 2時間 10分。
総合評価 95点。
(おまけも 読んでね。)
邦題に訳すとすれば、「幻想の縫い糸」でしょうか 。
高級ドレス作りに取り憑かれた男のはなし。
1950年代(前回「ウィンストン・チャーチル」から十数年後)のロンドンが舞台。
この映画は、この映画は、、観ていてドキドキする。
そして どこまでも 美しい。
わたしの父親はテーラー(仕立て洋服屋)である。客の希望を尋ね、膨大なサンプルから生地や裏地、縫い糸、ボタンなどを選んでもらい、入念に採寸し、シルエットを決めて、型紙をていねいに描いて切り抜き、縫製職人と打ち合わせ、仮縫いを客にフィッティングし、改めて本縫いに仕上げる。
すると上物のスーツだと価格は数十万円する。世の中にはお金持ちが やはりいるのだ。イージーオーダーも扱っており、こちらは生地にもよるが10万円もしない。
なので、わたしのもつビジネススーツは、すべて父親に作ってもらっている。なかで 唯一のフルオーダーは、大学に合格した祝いの ネイビーブレザースーツ。三つボタン段返り、フックド センター ベント、アウトポケット、七宝焼き仕上げのメタルボタン、なで肩でウエストを絞らないシルエット、凝った裏地。つまり完全なアメリカン アイビーリーグのスタイルで、とてもとても着心地がいい。
わたしがひとに自慢できることは ごく限られているが、ひとつは 高3卒業のときに作った このブレザー ジャケットが今でも着られること、つまり 172cm、63kgをずっとキープしていることである。さすがにグレーのパンツに胴は入らなくなったが。
というのは どうでもよくて、
この映画は、数回観てもじゅうぶん楽しめるクオリティをもっていると思います。
以下、もしお時間があるかたへの おまけ
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この連載、銀幕短評 を 2016年4月に わたしのフェイスブック(以下、FB)で始めて(それまではコーヒー店巡りのレビュー記事ばかりだったのですが)、きょう キリのいい 200本目を迎えました。パチパチ。
去年2018年の夏休みに このフィルマークス(以下、FM)に 過去のFB分記事を苦労しながら移植して、以来 双方のアップロード内容は全文で完全一致しています。
(注: FBの初回は10本ほどまとめて超コンパクトに紹介しており、あまりにも短文だったので移植をパスしたので、あるいは前後編をまとめて一つにレビューしたものも多く、紹介本数がFMでは まだ 187本になっています。)
ちがいは、FBでは もちろん本名〇〇〇〇を名乗り、顔写真を載せて、ほかの駄文記事と混じっているのと、毎回その映画のワンシーンをネットで厳選した写真を貼り付けているところだけです(この写真選択作業はけっこう楽しいです)。
かたや、FMでは 強力な検索機能、ソート機能、レファレンス機能があり、これらはきわめて快適で とても満足しています。
いまだに各映画に掲載連番と採点(#〇〇、〇〇点)を振っているのはFB内でレファレンス機能をもたせるためです(使ってくれるひとがいるかは、はなはだ疑問ですが)。
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FMでは、ほかのみなさんに倣(なら)って、ハンドルネームを使うことにしました。 “ひろゆき” は本名です(関係ありませんが、インスタグラムではフルネームの本名です)。
この、匿名性 という仕組みは なかなかおもしろいもので、FMではコミュニケーション(情報発信と反応)が 皆さんきわめて活発で自然です。まあ、わたしの場合はFB(本名公表)と完全同期しながらなので、ただ感じたままを 臆面もなく淡々と書いているに過ぎませんが。
そうしてFMに参加して、まだ半年しか経たないところですが、わたしのレビューを見てくださる方(フォロワー)は 280人に増えて、いいね、を押してくださる数もだいたい 毎本50から60人あまりくらい、最多の「ボヘミアン・ラプソディー」では、110人あまりに達しました。ざっと 3人にひとりが 興味をもってくださったわけで、ちょっとびっくりしてしまいます。
ちなみに FBのボヘミアンでは、8 “いいね” なので、笑ってしまいますね。まあ、匿名と本名開示の違いが大きいのでしょう。
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しかし 目線を変えると、まだようやく200本レビュー紹介に達したに過ぎないわけで、FMユーザーのなかには、1,000本、2,000本を超える超ヘビー レビューワーがおられるので、わたしなどは まだまだ青二才というか 赤ちゃんです。
ただ、青二才には 青二才なりの考えもあるわけで、
たとえば、FMユーザーのなかには、あまりにも映画の枝葉末節にこだわるひと、上げ足をとるひと(ごめんなさい)が意外と多いという気がします。
しかしそれは天に唾(つば)するようなもので、結局はじぶんに返ります。あまりにも もったいない。
フィクション(虚構、作り話)は、あくまでフィクションとして 一切合切を呑み込んで楽しむことが得策ではないでしょうか。ものがたりにいちばん大切なのは “流れ” です。それを 断ち切ってはいけない。
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喩(たと)えていうと、
映画は 波乗り(サーフィン)だと思います。
・ いい波がきて、華麗に乗れたとき。 とても気持ちいい(が、たいてい誰でもできますね)。
・ いい波がきたのに、うまく乗れなかったとき。 肩に ちからが入りすぎかも。 流れに もっと身を任せないと。
・ 小さい波なのに、うつくしく乗れたとき。 よっしゃ、サイコー。
・ 小さい波にも乗れなかったとき。 つぎの波を待とう。
だいじょうぶ。その気さえあれば、美しい波は尽きることなく 繰り返し 押し寄せてきます。
さあ、ごいっしょに もっと沖へ こぎ出しましょう。
ほら、遠くから大きいのがきましたよ。
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