岡田拓朗

日日是好日の岡田拓朗のレビュー・感想・評価

日日是好日(2018年製作の映画)
3.8
日日是好日

季節のように生きる。
雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを。
五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。
お茶の魅力に気付き、惹かれていった女性が体験するのは、静かなお茶室で繰り広げられる、驚くべき精神の大冒険。

先行上映にて鑑賞。
とてつもなく綺麗で純粋で美しい作品。それでいて温かい。
真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょいの典子(黒木華)が茶道教室にて、お茶を習うことで、まさに季節のように生きていくまでの過程から、徐々に雑念をなくし、出会いを前向きに捉えながら、日々を大切に過ごすようになっていく姿がしっかりと描かれていた。

「世の中にはすぐわかるものとわからないものの二つがある。」
フェリーニの道が伏線となり、転換点で比喩として出てきて、道がどんな映画かも気になった。
子どもの頃は全く意味がわからなかったことが成長して色んな経験を積むことで、意味を自分なりに咀嚼し、深みを感じることができるようになっていく。

そんなことを繰り返して、自分と向き合い、過去を懐かしみながら、自分の成長を実感して、少し前向きになれ、余韻に浸れる。
映画のよさに全然気づけてなかったのが気づけるようになったり、興味のなかった音楽のよさを理解することができるようになったり…自分にもたくさんそういうことが生まれるようになってきて、何か自分に深みや幅ができるようになってきてるような感じがして少し嬉しくなる。
そんなことを思い出させてくれる。

ふと振り返って自分と向き合っているときにそんなことを考えたりするわけだが、普段雑念だらけの日常を忙しなく過ごしていたらなかなかこんなことは考えられない。

それこそ典子も将来が見えないことの焦りから従姉の美智子(多部未華子)と自分を比較して、美智子がどんどん先を行ってるような感覚に陥ってしまい悩む。
自分に持ってないものを身近な誰かが持っているときの羨ましさを感じていたが、それも含めて雑念であり、そんなことを悩んでも仕方がない。
それなら毎日がよい日であると前向きに自分を生きる方が人生を充実させることができると、そう思った。

やりたいことは無理に作る必要はない。
やりたいことや好きなことでしか頑張れなくてもいい。
自分を見つめながら変わる必要があれば、徐々に変わって前に進んでいけばいい。
それだけで少し生きるのが前向きに楽になる。

茶道を習うことで、雑念から解き放たれて本当にそれこそ季節のように、自分を生きられるようになっていた。
四季の細かい部分までそれぞれを深く感じることで、本当に季節と一体になっているような…それこそ季節のように生きるとは周りに流されることなく自分を表現しながら自分に正直に生きることと同義ではないか。
自分にとって大切な人やものや言葉を大事にしながら生きる。
常に自分を主語にして毎日をベストな1日と捉えて生きる。
でも人との出会いや人への優しさや思いやりも忘れない。
素晴らしすぎる生き方だなと。

また、茶道を習ってる全ての人の佇まいに余裕があったのが印象的。
大人でありながらとても謙虚で、何にも縛られてない自由で大人の余裕がある雰囲気。

考えることをせずに頭の中を空っぽにして、自分と季節(四季)の自然の世界に入り浸る。
茶道の趣深さは、いちいち行動に対しての理由を考えずに、一見無駄に見えることを自然に覚えていくことで、感覚や感性が研ぎ澄まされていくことそのものにあると思った。
何か理由を考えたり頭を働かせようとするとどうしても雑念や理性が入ってしまう。
四季や自然をこんなにも愛で感じることは今までないけど感じてみたくなる。

形から入る。
いつのまにかハマってる。
世界の見え方や感じ方、そして生き方が変わる。
こんなに趣深い世界だとは思っていなかった。

感極まるとはこのことか、と言わんばかりの自然と一体化したような感覚に陥れる素晴らしい作品でした。

P.S.
黒木華の演技が本当によかった。
色んな顔が表現されていて、徐々に自然と一体になっていく演技が凄かった!
そして今作は何と言っても樹木希林に尽きる。
放たれる言葉や所作など、本当に樹木希林にしか成し得ないなーと。
言葉は深く入って来るし、時おり樹木希林が話すだけで涙が出てくる。
それでいてお茶目な一面もちゃんと持ち合わせてる。
これから観れなくなるなんて本当に寂しいですが、改めてご冥福をお祈りします。

「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり、常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている。(Wikipediaより)
自分の解釈は「常に今この時が大切」に近い捉え方です。
岡田拓朗

岡田拓朗