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恋は雨上がりのようにのまのネタバレレビュー・内容・結末

恋は雨上がりのように(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

原作ファン、終わってしまって悲しい。
もちょい加瀬さんの方の話の終着点を見たかった。
でも漫画の終わり方は本当に最高。
映画化される前は店長は堤真一であきらちゃんは橋本愛かなとか思ってたけど小松菜奈ッッッ
美しすぎるし何その透明感...。
どこか妖艶なのに泣いてる顔は年相応っていう、奇跡か。
廊下の背もたれに体重かけて紙パックのジュース飲んでるとこまんま漫画のあきらちゃんだった...凄い。
ビクッとした時の猫的な動きとか凄くっぽかった笑
そしてまだ何ミリか程はつ、堤真一版見たかった...感が無きにしもあらずだけどッそっちはまだ本気出してない方に託すとしてッでもッやはり大泉洋。
最初入ってきて「もっと食べなよ?」って上から見下ろすように言うシーンを見てそりゃ惚れるわって思った。
でもまだ魅力が存分に出し切れてないようにも思う。
原作自体が独白の多いまるで小説の様な、登場人物の心の動きを地の文から読み取るような雰囲気がある作品だったからそこが少なかったのがちょっぴり残念。
店長の頭の中で恐らく活字化されて出力されてるであろう橘さんへの衝撃や揺らぎ始めた自身の気持ちの描写を画面から今一読み取れ無かったなとか骨の髄まで本の虫感が薄かったなってのも少し残念。
と同時に、明るいテンポ爽快な話運び爽やかな情景一つ一つどれもぐっと来たけれど全てがあきらの物の様な印象で。原作の持つあきらの世界と店長の世界との微妙なバランスというか本来混じり合わないはずの静と動の世界が何とか混じり合ってる均衡というか。それがちょっと薄いかなという印象だった。
店長側が薄味なのかな。もしくは店長側までもがあきら的前向きさに寄りすぎたのかな。
何だろうそもそも原作の店長の方も年の功のせいあってか割とひょうきんおじさんだけれどご本人そのものの中身は一人雪の日にラジオしかない部屋に籠もってひたすら原稿に向き合う寡黙おじさんっぽいというか。
こう実社会で表現される外面の彼と本棚ぎちぎちの小部屋に押し込められた本当の自分、彼の脳内で展開されてる真正の思考や内面の部分には大きな隔たりがある様に感じられて。
その誰にも気にかけられなかった側面誰にも見せなかった側面をあきらは垣間見た的な。
殻の中に店長自身が押し込めて自分は蝉の抜け殻だ...って言ってるのを側で聞いた的な。
外面と内面とのブレ、隔たり店長の弱さを見た的な。
一方的に大人な店長にどうにもならない若さから来る苦しみを気持ちの面で支えて貰うだけじゃない的な。
だからこそ店長に関してはおじさんと高校生は駄目だよ君の気持ちには答えられないっていう「大人」な外面だけじゃなく、ああ僕は橘さんが好きなんだ...とかせめて彼女の不安を取り除いてやりたいとか殻から漏れ出てくる奥底の本心をこそ見たかった。
で、最後の最後にはオールバックも解いて完全なる部屋着自室ありのままスタイルであきらと一日過ごすってのが、文字通り誰にも知られることの無かった部屋に彼女を招き入れたって感じでそこでようやく一人の人間として一対一って感じがして好きだった。
そしてそんな感じの大泉洋が見たかった(落涙)
今の感じだと橘さんのゴリ押しを一歩離れた距離からいなしてる大人で止まってる気がした。
もっと全力で泥クチャになる大泉洋が見たかった。かっこ悪いほど全力でへにゃへにゃになりながらおじさんだよぉおじさんだよぉ言ってるのにビタ一大人の余裕が無いがしかしそれが一周回って格好いいし愛おしい的な大泉洋が見たかった。
全編エモーショナルなシーンは本当に素晴らしい。
音楽が鳴って駆けだして映像のキレが増すシーンはどれも素敵だし、車の中でのデートしてくれるんですか!のシーンもこれこそが求めてた実写版二人の形!って感動した。
反面平素の部分が少しそんなにって感じだった。
台詞が重たいせいなのかな。
なんかもっとなんか!って気持ちだった。
九条先生はもっとアニメ版くらい店長にヤな顔されるほど押せ押せうぇえ~い!で来て欲しかった笑
あとゆいちゃんと吉澤の最後のくだりは原作の顛末を知るだけに胸がきゅっと苦しくなるパラレルワールドだった...。
でも全体的には満足だったなぁー。
エンディングのアニメパートも好き。
あ、あとお母さん良かった!
爽やかな映画だった、ラスト凄く好き...。
映画版のあきらちゃんと店長の物語のスタートはこれからだ。
ま